用意された堆肥2009年10月04日 20時38分03秒

堆肥あるいは何
海岸沿いの田んぼの南側に4つ、堆肥とおぼしき樽が用意されていました。発酵させて使うと思われますが、中を見たわけではないので確かなことは言えません。それでも、いわゆるコンポと似た方法での(もちろん、それとは別の)堆肥かそれに準ずる何かを持たせているのだと考えられます。田んぼにそれを準備した、設置したところに意味があるのでしょう。他でこさえて運ぶのとは異なります。何かしら別の理由を知りたくなります。

必要なときに必要なだけ、必要に応じて運搬し使用する、対処する、そういった方法は一般的に行われます。それが最も適切な行為とみなされていますが、果たして、それでいいのでしょうか。適応というべき適合性はその環境に合致した、あるいは応じた形での存在をすすめる自然な方策といえます。それと同様に最も効果的に、しかも時宜を得た対応に遅れもずれもなくうまく合う、そんな形態を求めるならそれはその場において造られ使われるように敷く、それが最良となるでしょう。

求めに応じ、要請などに応じて整える、準備する、それをその場その時に必ずなされるように私たちが私たち自身を求めるように創っていく、そんな動的な、遅れのない、かつ適合性の高い形態を構成するように仕組みや枠組み、人のネットワークを新たに創造する、そんな時期に来ています。そういう風に変えていくことが現在、緊急の課題としてそれ自身の要求として求められているのです。