神様のお遣い2013年09月03日 13時56分23秒

ウスバキトンボ
午前中は天気予報(気象情報)は見事に外れて、晴れて暑い南風の吹く時間を過ごせました。運動がてら、海岸まで歩きました。残暑の日差しの中、釣りをする人、海岸でものを燃やす人、歩く人、などなど、週日にもかかわらずいるときはいるものです。わたしはといえば、振替休日2日目で少しばかり落ち着いてはいたのでした。久々に歩いたような気がします。山の中腹のお寺の上の神社にお参り。

見ると、狐が一匹登りの階段の下の方につくねん、とお座りしていました。わたしに気づき、山の中に消えたのでした。ここには4つの社があり、その一つはお稲荷さん。昨日と打って変わった明るい日射しを浴びようとでていたのでしょう。ちょうど、まさに、神様の前で。どこか、お迎えに会ったようで、よい兆しなのかも、と思うのです。弁天様に続いて、ここでもお祈り。写真はとれませんでした。神様のお遣いですものね。

午後は1時を過ぎて、降雨となる、晴れのち雨。気象情報などあてにする方に間違いがあるのです。外れて、万歳。明日につながる雨になりますように、頭の痛さと重さを生み出した帽子なしの太陽に。

台風一過2013年09月05日 18時26分55秒

崩れた弁天様への参道
このところの変動の激しい気象状態には驚かされます。多く、今迄なかった、とか、生まれて初めてだ、とかいった声をニュースやなんかから聞くたびに、この気象異変ならぬ地球異変に慄然としてしまいます。それでも、きょうは午後になってようやく雨もやみ、静かで涼しげな天候となっています。これ以前から、写真にあるように、崩壊もめだちます。何十年も大丈夫だった荒波の吹き寄せる北の海岸でもこの数年での降雨や風化の加速化によって大きな変化をもたらされているのです。

まさに、これからどうなるのか、としかいえないような、わたしたち人間の活動に起因した気候変動をもはや私たち自身ではとめようもないほどに変動を大きく深くさせています。雨台風は温帯低気圧にまで勢力を落としていてもなお、その運ぶ水量は従来の比ではないのです。受け身の対策ではすでに限界が見えています。繕うことだけではその綻びは直らないでしょう。どのように原因を正しくとらえ、どこに手を打ち、その原因のいくつかでも解消させることができるか、まったなしの真剣勝負なのです。

なのに、未だ、愚かさに端を発した原発事故は容易には収まりません。放射能という、最もやっかいな悪魔を津波だけではない原因、とりわけ、ヒューマンエラー以外ではあり得ない過ちで飛び出させてしまったその責任を一企業の東京電力に押しつけず、とにかく今できる対策、いえ、とにかく、その原因たる全原発の即時停止と放射性廃棄物のくいとめを決断することです。これ以上、生み出さないことから始めなければなりません。愚かさに気づきながら繰り返すなど、言語道断です。

朝になれども2013年09月06日 21時39分12秒

朝焼け
ようやっと晴れ間もみえだすか、と思えた今日でしたが、やはり、愚かな我が国の指導者達はなお目をお覚ましではないようです。G20を中座してまで東京オリンピックのために南米チリまで飛んだり―つまり、原子力発電はこの国では制御可能なのだ、とうそぶくための方便でもあるかのように―いったい、何のためにロシアに飛んだのでしょうか。

わたしたちの付託はオリンピックでも原発でもありません。この壊れかけている社会に対し、どういったメッセージと施策でもって、たとえば、いま最も辛い生活を強いられている東北の人々に、とりわけ避難民に対して何を救い何をうちたて、何を作り直すのか、が問われています。どうでもいい、金食い虫で余計な労力でしかないオリンピックのために大切な税金や人員や時間やエネルギーを注ぎ込む余裕などあるはずありません。そんなお金があるなら、そんなことにつぎ込む余裕があるなら、たとえば、孤独死をしてしまうような仮設住宅の住民の希望をこそ叶えるために使うことなのです。

堪え難い思いの中、絶望的に亡くなっていった多くの人々、津波にさらわれた人々を想うとき、東京のおばかな人たちにどのような諭し方で再教育をすればいいのでしょうか。この人達はいったい、本当にこの日本や東北の人々のことを考えているのでしょうか。助け合い、支え合い、分かち合う、これは物だけではありません。本当の心をこそ、持ち合い、すべての面で日本の新生を図らないと滅びます。わたしたちが望み、求めるのは希望であり、新たな未来です。分かっているんですか、首相、都知事さん!

変わらぬ時2013年09月07日 20時07分21秒

早朝の灯台
けさも新聞ではオリンピック誘致にかかわる東京の人(たち)の非人間的な発言が掲載されていました。フクシマとは離れているから影響はない、だの、汚染水は適切に管理されるから大丈夫だの、まったく別物であるかのような言い方です。首相にいたっては、G20を抜け出してチリまでいったのですから、あきれて物も言えません。

口先だけで、心から東北や日本の新生を願い目指しているのではない、とはっきり分かります。あまりに腹立たしい。オリンピックなど不要です。少なくとも、今は。未だ収束しないフクシマともう戻れない福島県の人々をおもうとき、こんな行動を国際的にも恥ずかしくもなくなぜしてしまうのか、首相として疑問符をつけざるを得ません。東京のひとたちも同罪です。

変わらない早朝の、灯台の緑の光をみるとき、常に守る日々の姿こそ、信頼といざというときの羅針盤として必要です。港湾だけでなく、沿岸地域を中心とした防災と日常的な整備のために税金と精力をつぎ込まなければなりません。私たちが、どこに生きているのか、再確認すべきです。

暗澹たる朝―五輪2020東京2013年09月08日 20時41分52秒

国分寺
けさの一番ニュースで見聞きした悲しくも恥ずかしい知らせは、2020年のオリンピックの開催を東京としたことでした。比較優位とされ、決定したことそのものには不思議はないにしても、なぜ、今、オリンピックを過去に開催した東京で行わなければならないのか、ということです。そもそも、立候補すべきではありませんでした。各国から心配されていたごとく、フクシマの収束はそれこそ、遠い未来です。その懸念のことばでのごまかしのために首相自らが国際会議を中座したこと自体、なんなのか、と思えます。

いわく、「経済の活性化」、いわく、「日本を元気に」………どうかしてます。要は、金儲けの手段、見せかけの活性化、目をそらすため、などなど、本音と目的が透けて見えます。なにより、批判を浴びたように、東北のことを忘れたかのようなその喜びようや浮かれて騒ぐかれらの神経を疑います。福島は東京から「遠く」離れている、と繰り返す中に、反省も思いやりも支え合いも、「絆」もありません。東京やその周辺だけが得をするのであって、その他の地域、とりわけ、”そんなこと”のために多額の税金と資材と人員を盗られる東北の被災地にとって心から喜べることでは到底ないでしょう。メーンスタジアムだけでも、1300億円だとかいう、そのお金があればどれほどの整備と復興にまわせるでしょうか。

写真は各地に造られた国分寺のひとつです。支配の手段としても、またその地域・地方の中心としても、象徴的な寺院でした。その分配されたものは分配され伝達される大切な存在であったのかもしれません。古代の人々は一地域だけをみていたのではありません。また、馬鹿騒ぎとも無縁でしたでしょう。もっと、足下を見、地に足を付け、人々を見なければなりません。目をそらすための愚かしさに目を奪われてはなりません。

福島の沖縄化2013年09月09日 18時39分38秒

チュウダイサギ
沖縄が日本とはいえないかのような状況とされて(まさに、意図的に)久しいのですが、今度は福島もか、と思わせた昨日の2020年オリンピック東京開催決定のときの東京の騒ぎようでした。自分たちのお金儲けや「経済の活性化」ばかりが頭に有り、その他の地域、とりわけ懸念材料とされて大迷惑な福島にとり、そのお金の使い道はいったい誰のため、何のためなの、と詰問したくなるような話ばかりです。NHKの夜7時のニュースでさえ、その経済効果やその後のことばかりでした。

沖縄振興と引き替えに、とは聞こえはいいのですが、沖縄はいまだ苦しみと迷惑を一身に背負っているのです。米兵の悪行の犠牲は後を絶ちませんし、墜落などもあったとしても、地元警察などは入れません。治外法権のまかり通る島にどのような幸福が訪れますか。経済的にも国内では最低の水準です。これはまた、原発事故で帰宅困難地域に指定され、だれも入れない地域の増えた福島県内と放射線を浴びあるいはその食糧・食餌から蓄積させた野生動物や植物、荒廃していく元居住地、どうしようも無い汚染水を無限にためられるはずもないのに安全宣言でごまかすという愚かな政府などに見捨てられたような地域住民をおもうといったい、何のためにそれほどまでにオリンピックで目をそらし、見かけの活性化を進めようとするのか、甚だしい疑念が湧いてきます。

厄介な物、断りにくいもの、そういったものに蓋をするかのように、何も心配ない、影響はない、安全だ、とうそぶくかれらに何ができるのでしょうか。日本の国内には2つの番外地があるかのようです。今からでも、開催を返上し、お金を困難を抱えた地域と人々のために使いましょう。そして、財政赤字を減らしましょう。孤独死、自殺、棄民、などなど、命さえ危ういところにどうしてあれだけ、東京の人たちはよろこべるのでしょうか。信じられない。絆は何の、誰のでしょうか。とっくに見捨てられた沖縄のごとく、福島もまた、同じことになりつつあるように思えます。

夕暮れの風景2013年09月10日 19時18分45秒

輸送機?
早い帰りで外を歩く、この習慣と時間を守りたいと思うのです。これから秋はすすみ、急速に暗くなるこの時期、まだ夏の名残の時のたなびく風景の中にいたい、と思うのです。少しまた暑く、道路の電光掲示板では29℃を示し、緩やかな日の落ちる、決して暑くてたまらぬほどでもない道々には様々な風景の溶け落ちる流れがあるのです。

三日月の南西の空、ふと見上げると東からの航空機でした。今頃、こんな土地には飛んでくるはずもない飛行機です。写真からも分かるように、国籍不明、灰色、わずかな灯火、低空、と(まあ、外国のではないのは分かりますけど)怪しげな飛行です。近いせいか、結構大きく見えたので自衛隊かどこかかも、とは想像しますが、果たしてどこの、どういった目的のかは不明です。

下の川をみれば、アオサギ3羽、コサギ1羽、縄張り争いでもしているかのようなやり合いのあとはなんにも残りません。行き交う自動車の傍には自転車(例外なく)の通りがあります。歩く人などほとんどいません。次第に薄暗くなる山々のシルエットを背景に降りてきた町には人声のない電灯の光の照明が静かにわたしを迎えていたのでした。

重なりに善し悪し2013年09月11日 21時23分35秒

山々の重なり
けさの快晴の空の下、見える山々の重なりは次第に青をましていき、ついには薄く、空に戻ることを教えてくれていました。こういった重なりは美しく、穏やかにしてくれます。一方、悪意や醜さに基づく声や行為の重なりはとても堪え難く忍びがたく許容できない原因の一つです。そして、度重なる福島原発の放射能漏れはとても首相のいう制御下にあるとは言えない状況です。東電による発表、今夜のニュース9でもその東電による説明を現地で受けたキャスターの声、そこにはいつ終わるともしれない現実の困難さを映していました。

光の重なる様を見つめるとき、生きている実感にさえ浸ることができます。良きもの、良きこと、良き兆し、そんな時間と空間の共有こそ、私たちの望む姿です。幾重にも、とは文学的です。そのことばで甘利経産相は福島の一号機の汚染水漏れを防ぐ、とのたまったのですが、その重なりで緩やかにしたとしても、漏れ自体を何らかの方法で止めなければおなじことです。いまからでも、別の工学的な手法によるフェイルセーフの機構を考案すべきです。文学的な実効に乏しい間に合わせではよろしくありません。

思えば2年半前、事故を、いえ、津波を防げなかった思慮のなさはそういった冷却水タンクの羅列にその重なりを見ます。始めから無理な立地と安易な建設・予想しなかったが故の海への対処などを顧みれば、そこに見えるのは幻でしかない原子力の利用です。廃棄物をのみ考えても重なる目を閉じた人々の愚かさだけに割に合わない愚行を始めてしまったつけを今払い続けなければならない、汚染水と同じ現実の中に私たちはいるのです。

異常な暑さ2013年09月12日 20時22分10秒

帰港
今朝は早めに起きざるをえなかったので、早めのウォーキングでした。港の或方向では、船の帰港にちょうど出会いました。静かで、突端で釣をする人も慌てた様子もなく、その中をゆったりとした様子で停泊場に入ってきました。変わらぬ光景でしょう。わたしは初めて見たのですが。青い背景に白くまた灯火のある船の進む様はとても詩的です。あとの声がなければ。早朝はそれで気温はまだ上がらず、むっとしたところでおとなしいものでした。

昼間はまだ夏です。じっとしていることも堪え難い暑さでした。待時間の間、汗に包まれていました。どうにかしてほしい。残暑といえばそうかもしれませんが、以前なら9月にはいれば日中でも25,6℃でしたでしょうしわたしの実感と記憶はそういっています。なのに、この暑さは。地球規模の温暖化に基本的に原因を帰することは誰しも分かることですが、そのメカニズムから原因に至る本質的な理由を知ればその温暖化の加速度を和らげることができそうに思うのです。

複雑さを言い訳にせず、何かの変異と推移に目をやれば見えてきそうな気がします。ミツバチの大量死が日本国内でも起こっている、とのクローズアップ現代での話からも、ある種の共通したところに起因する何かがあるように思えてなりません。

台風18号に運ばれて2013年09月13日 21時01分39秒

ユリの花
弱いながら、広範囲に勢力を及ぼす台風18号はこともあろうに小笠原近海で発生しています。お分かりでしょうか、フィリピン東方沖やその周辺海域での発達と違い、遠いとはいえ、小笠原ではかなり日本に近いのです。なぜでしょうか。教科書的な解説は別として、この時期に近海での発生と動きにまた異常さを知るのです。これに加えて、暑さ、つまり熱を伴う大気の流れはそのまま大量の水蒸気を含んでいます。そんな、人間の側から言えば、「災害」をもたらすに充分な用意ができた台風だということです。

季節の変わり目であるこの9月にいまだその熱冷めやらず、推移するはずの大気の圧力差は変動を示すのではなく、持続的な反復を示している、といえます。たとえは乱暴ですが、たとえば、地震による津波の発生にも似た台風の近海での発達と移動にその証左をみるのです。必要なのは順序だてた発生と移動と衰退による消長の記述的な結果ではありません。

なぜ、起き、なぜ、近づき、なぜ覆うのか、なぜ持続的で反復的な高温大気の中に我々はいなければならないのか、気象の定型からは考えても本当の、真の原因はみえてはこないでしょう。人為的な原因という背景は誰しも何となく分かっているのです。だからこそ、その生起を知ることで解消と復帰に道筋をつけるのは不可能だとは思わないのです。SF的です、と言う前に、知る必要があります。