暗澹たる朝―五輪2020東京2013年09月08日 20時41分52秒

国分寺
けさの一番ニュースで見聞きした悲しくも恥ずかしい知らせは、2020年のオリンピックの開催を東京としたことでした。比較優位とされ、決定したことそのものには不思議はないにしても、なぜ、今、オリンピックを過去に開催した東京で行わなければならないのか、ということです。そもそも、立候補すべきではありませんでした。各国から心配されていたごとく、フクシマの収束はそれこそ、遠い未来です。その懸念のことばでのごまかしのために首相自らが国際会議を中座したこと自体、なんなのか、と思えます。

いわく、「経済の活性化」、いわく、「日本を元気に」………どうかしてます。要は、金儲けの手段、見せかけの活性化、目をそらすため、などなど、本音と目的が透けて見えます。なにより、批判を浴びたように、東北のことを忘れたかのようなその喜びようや浮かれて騒ぐかれらの神経を疑います。福島は東京から「遠く」離れている、と繰り返す中に、反省も思いやりも支え合いも、「絆」もありません。東京やその周辺だけが得をするのであって、その他の地域、とりわけ、”そんなこと”のために多額の税金と資材と人員を盗られる東北の被災地にとって心から喜べることでは到底ないでしょう。メーンスタジアムだけでも、1300億円だとかいう、そのお金があればどれほどの整備と復興にまわせるでしょうか。

写真は各地に造られた国分寺のひとつです。支配の手段としても、またその地域・地方の中心としても、象徴的な寺院でした。その分配されたものは分配され伝達される大切な存在であったのかもしれません。古代の人々は一地域だけをみていたのではありません。また、馬鹿騒ぎとも無縁でしたでしょう。もっと、足下を見、地に足を付け、人々を見なければなりません。目をそらすための愚かしさに目を奪われてはなりません。