台風ハーロン2014年08月10日 06時23分51秒

昨日午後から雨が降り出し、午後3時ごろには「通常の」降雨となっていましたが、その夕方、そして今朝にかけては次第に少雨となっていました。風は少しあるものの、警戒されたほどの大雨とはなっていません。今朝も空自体は明るく、前線と重なったほどには降雨は多くはないのです。ただ、台風の進路の東側にあたるわりには、蒸し暑さとは正反対の涼しさ、いえ、冷たささえ感じられるほどです。昨日も終日、22℃以下でしたし、こちらでは20℃ほどです。

ようやく、この地方の気温と釣り合いがとれてきたようですが、このままの気温の持続はまた、好ましくはありません。まだこちらでは、穂もでておらず、稲の生育に障害とならないか、心配されるからですし、一方、きのうのニュースで見た人も多かったと思うのですが、宮崎県あたりでは、実った(まだ青い稲でしたが)穂が水に浸かっています。それだけ、では判断も推量もできませんが、それだけでもこれからを危惧するには充分な鍵となると思うのです。

この11号を始め、今年の台風は直接的に日本列島に影響を与えています。近年の温暖化の定着傾向から―異変からプラトーに―想像される気候の変化の結果だと知るのは決して的外れではありません。変わってしまった環境と気候の平年化のもたらすさらなる変動と変化の広がりや定常化にこれからを憂うるのは私だけではないと思うのです。身近な測定と観察から注視していかねばなりません。

汚染水とごみ掃除2013年09月20日 19時03分06秒

ナツメの実と木
きょうの清掃時に排水口の掃除をしました。きのうから丸一日、日当たりのよい窓際で乾かし、一本でほぐして掻き落とす、という物理的な、しかも原始的な方法で成功しました。汚れも少なく多少のほこりはでるものの、効率よくへばりつくことのない効果的な手法です。後で洗えばきれいな金属を露出させることができるのです。

同様に、大量のタンク(ひとつで数百トン以上?)の福島の汚染水も水分のみの蒸発あるいは吸収させて容量をとにかく減らさなければ追っ着きません。方法はいくらでも考えられると思います。ただ、蒸発の過程での放射性物質の揮発や飛散は避けなければならないのはいうまでもありませんから、トリチウムを含まないように水のみを除くことから始めることです。

夕暮れの光の中、ナツメの木を見つけました。とてもおいしそうで、盗りたいとは思っても、高い場所で、足を滑らせたら危険なため、やめました。また、勝手にとっていいのかもわからず、口惜しさだけがのこりました。高い木で、とても下から収穫しているとは思えないのですが。

大型台風2013年09月16日 20時29分58秒

警戒水位
予想通り、強くはないものの、勢力範囲の広い大型の台風18号は日本列島を直撃しました。その爪痕はテレビでさんざん放映されているので省くとして、とりわけ雨の継続時間と降雨量の多さはやはり特筆ものでした。各地での氾濫や土砂災害、副次的な交通のストップなど、日本にとって、地震の次に恐い自然災害です。

実家に帰っていて、雨の間中、家からはほとんど出られませんでした。やみかけたときに川の様子を見にいきました。写真のように、普段なら5mほど下を流れている川はほとんど岸の水準まで迫っています。おわかりでしょうか。橋脚の赤い目印を超え、警戒水位となっています。岸の道路から上までは2.5mですから、50~60cmまでだということです。少し上流の観測点では2mほど余裕があり、通行禁止とされたものの、氾濫はなかったのです。

数十年に一度、とか気象庁は脅していましたが、水量は確かにここ数年なかったかもしれません。この頻度と程度の繰り返しにストップをかけるべく、原因から見直さなければ危険です。

台風18号に運ばれて2013年09月13日 21時01分39秒

ユリの花
弱いながら、広範囲に勢力を及ぼす台風18号はこともあろうに小笠原近海で発生しています。お分かりでしょうか、フィリピン東方沖やその周辺海域での発達と違い、遠いとはいえ、小笠原ではかなり日本に近いのです。なぜでしょうか。教科書的な解説は別として、この時期に近海での発生と動きにまた異常さを知るのです。これに加えて、暑さ、つまり熱を伴う大気の流れはそのまま大量の水蒸気を含んでいます。そんな、人間の側から言えば、「災害」をもたらすに充分な用意ができた台風だということです。

季節の変わり目であるこの9月にいまだその熱冷めやらず、推移するはずの大気の圧力差は変動を示すのではなく、持続的な反復を示している、といえます。たとえは乱暴ですが、たとえば、地震による津波の発生にも似た台風の近海での発達と移動にその証左をみるのです。必要なのは順序だてた発生と移動と衰退による消長の記述的な結果ではありません。

なぜ、起き、なぜ、近づき、なぜ覆うのか、なぜ持続的で反復的な高温大気の中に我々はいなければならないのか、気象の定型からは考えても本当の、真の原因はみえてはこないでしょう。人為的な原因という背景は誰しも何となく分かっているのです。だからこそ、その生起を知ることで解消と復帰に道筋をつけるのは不可能だとは思わないのです。SF的です、と言う前に、知る必要があります。

異常な暑さ2013年09月12日 20時22分10秒

帰港
今朝は早めに起きざるをえなかったので、早めのウォーキングでした。港の或方向では、船の帰港にちょうど出会いました。静かで、突端で釣をする人も慌てた様子もなく、その中をゆったりとした様子で停泊場に入ってきました。変わらぬ光景でしょう。わたしは初めて見たのですが。青い背景に白くまた灯火のある船の進む様はとても詩的です。あとの声がなければ。早朝はそれで気温はまだ上がらず、むっとしたところでおとなしいものでした。

昼間はまだ夏です。じっとしていることも堪え難い暑さでした。待時間の間、汗に包まれていました。どうにかしてほしい。残暑といえばそうかもしれませんが、以前なら9月にはいれば日中でも25,6℃でしたでしょうしわたしの実感と記憶はそういっています。なのに、この暑さは。地球規模の温暖化に基本的に原因を帰することは誰しも分かることですが、そのメカニズムから原因に至る本質的な理由を知ればその温暖化の加速度を和らげることができそうに思うのです。

複雑さを言い訳にせず、何かの変異と推移に目をやれば見えてきそうな気がします。ミツバチの大量死が日本国内でも起こっている、とのクローズアップ現代での話からも、ある種の共通したところに起因する何かがあるように思えてなりません。

夕暮れの風景2013年09月10日 19時18分45秒

輸送機?
早い帰りで外を歩く、この習慣と時間を守りたいと思うのです。これから秋はすすみ、急速に暗くなるこの時期、まだ夏の名残の時のたなびく風景の中にいたい、と思うのです。少しまた暑く、道路の電光掲示板では29℃を示し、緩やかな日の落ちる、決して暑くてたまらぬほどでもない道々には様々な風景の溶け落ちる流れがあるのです。

三日月の南西の空、ふと見上げると東からの航空機でした。今頃、こんな土地には飛んでくるはずもない飛行機です。写真からも分かるように、国籍不明、灰色、わずかな灯火、低空、と(まあ、外国のではないのは分かりますけど)怪しげな飛行です。近いせいか、結構大きく見えたので自衛隊かどこかかも、とは想像しますが、果たしてどこの、どういった目的のかは不明です。

下の川をみれば、アオサギ3羽、コサギ1羽、縄張り争いでもしているかのようなやり合いのあとはなんにも残りません。行き交う自動車の傍には自転車(例外なく)の通りがあります。歩く人などほとんどいません。次第に薄暗くなる山々のシルエットを背景に降りてきた町には人声のない電灯の光の照明が静かにわたしを迎えていたのでした。

安らぎの池2013年01月20日 19時49分35秒

オナガガモ(左)とヒドリガモ(右)
探鳥会で都会の中にある池・遊水池に出かけました。当初はそれほど期待はしていませんでしたが、来てみて少々驚きました。こんな都会の真ん中に実に多くの種類の水鳥がいたのです。かつて(といってもほんの1年前)湖で多く目にしていた彼らをこの地で見かけようとは思いませんでした。久しぶりで見分けるのに(思い出すのに)時間がかかりましたが、いくつかはよみがえってきました。ただ、もちろん、彼の地の湖ほどには種類も数もなく、それは致し方ないことですが、この場所を考えると驚きです。遊水池(温水池)では餌付けをしていて、魚介類の極端に少ない池で(水はとてもきれい)多くいた理由はわかりました。<p>
今朝は風邪気味で、昨夜に比べれば体温も下がり、大丈夫とおもっていたのですが、峠を越えたあたりから頭が張った状態となってしまいました。ただ、歩いている内に和らぎ、寒さは感じたものの、晴れた日和でまずまずのところでした。そして、これもまた、帰り、峠を再び越えたあたりからまた同じ状態となり、やっと回復したところです。</p>
いつかまた、とは思っても、再訪に至るかは分かりません。もしかするともう訪れることもないかもしれない、そんな気がしました。まあ、この地方に居住していれば機会はあるかもしれません。不思議な感じの水鳥の楽園を見たような気分です。

いのちの継承2011年12月13日 11時20分48秒

マガモ飛翔
湖に飛来する水鳥たち(カモ類は多い)を見ているといつもその命のつながりを感じます。どんなに寒くとも、雪の舞う凍り付くような気温でもやはり、その水面に浮かべています。でも、彼らは自由なのです。誰にも縛られず、抑圧されず、ただ自由に飛び交い、その営みを続けるのです。私たちはその姿になによりも、生きている実感を抱くのです。

それにひきかえ、この地域ではどうでしょうか。いのちを大切にする、そんな思いや祈りを平然と押しつぶすような言動、施策、振る舞い、そしてつながりを絶ってしまう仕組みや町、ひいては社会の壊れかけた存在。ひとりひとりの姿をその生きる姿を生き生きと見つめることができません。どこか、それぞれの存在の唯一無二の存在であることを認めようとさえしない風潮を感じるのです。年齢や職業に関わりなく、それぞれが出会い、命を育む環境こそ何よりも求められるのです。

わたしのこの体の中にもまだ、炎のように燃え上がる気持ちや思いがあります。そして、決してこのままではいられない、強い気持ちをもっています。必ず、残さねばなりません。誰にも奪われません。何も奪われません。

アカトンボは減っているか2011年10月04日 17時16分46秒

アキアカネ
昨日は午後、風は強めながら好天のもと、山際を歩いてきました。自然保護センターから呼びかけられた赤とんぼ調査の一環です。山際には水路が山裾に沿って流れ、その周辺にはトンボが多いのです。ここでは年中見られ、この時期は電柵で日光を浴びる赤とんぼがいます。その数は、
アキアカネ、20
ナツアカネ、24
ノシメトンボ、4
の割合で100mにいました。これが多いか少ないかは(あるいは、減っているのか増えているのか)毎年かぞえていませんのではっきりとはいえません。

ただ、他の種類の、とりわけ大型のトンボ類は間違いなく減っている、という印象をもっています。サナエトンボの類は年々少なくなり、ギンヤンマなどは一夏に数匹です。にも関わらず、ウチワヤンマは必ずみかけますし、オニヤンマもいくつも高速飛行をしています。綿密な追跡調査をするには一人では難しく、何人もの有志による継続的な観察が望まれます。

それで元の赤とんぼですが、季節と時期を考えたとき、きのうなら20℃の外気温ではそれなりで、ちまたで言われる、激減、との声には私は今は同調できません。ただ、環境の変化、というよりも破壊と改変を考えたとき、どうしようもない危機感と恐れを抱きます。自然保護センターによる集計と考察が待たれます。

空梅雨2011年06月28日 12時02分32秒

幼ガエル
今朝早くは降雨があり、少々濡れましたが、すぐにやんで蒸し暑さはあさからずっと続いています。道の脇は道路を渡ってきた幼いカエルたちでいっぱいで、注意しないと踏みつぶしてしまいそうになります。この山の突先ではほとんど写真のカエルで、きのう小川にいたシュレーゲルアオガエルたちとは異なり、もう少し成長しないと区別ができません。なぜ山から下りてきたのか、道路脇に集まったのはなぜか、生まれて変態したばかりでまだ方向性は定まっていないようです。

梅雨に入ったとも入らないともアナウンスされず、ただ蒸し暑いだけの6月で真ん中を流れる川の水はむしろ少なく、そのおかげか澄んでいます。しょぼしょぼとしたお湿り程度では欲求不満が募ります。まあ、九州の大雨と同じでは困りますから、それはそれで助かっているのかもしれませんがこの時期に降らないのもその後の夏を思うと...。

生き物たちはそれなりに生きているようですし、空梅雨とはいってもまだましな気候です。今日はすでに午前中で34℃となり、日射しもかなりあって、もうじき夏本番、と予想されます。それにしても、カエルたちは今の時期に大量発生、これは「ふつう」でしょうか。