「ポピュリズム」を使う意味 ― 2011年06月27日 10時47分00秒
前原誠司元外務大臣は、菅首相の「脱原発」の方向性に対して、「ポピュリズム」ということばを使ってその動きに通せんぼをしようとしています。誰もが感じるように、これは主導的な企業やいまだこだわる国策の誤りに引き込もうとしている一連の愚かな政治家たちの言動と軌を一にしています。かつて、国土交通大臣として、八ッ場ダムの建設中止を明言しながら、後に腰砕けになった(別の大臣)民主党の典型的な態度と迎合するものです。
「大衆迎合主義」としばしば訳されるこの「ポピュリズム」ですが、これはイタリアの国民と同じく、現実を見据えて体感的に主張しつつある賢明さと命や生活を考えた上での判断なのです。決して、間違った方向に進もうというのではないのです。ひとたび事故が起これば取り返しのつかない大変な事態になる、それは地震だけでも存亡の危機に陥る日本列島に生きる身として、是が非でも避けなければならない危険性なのです。目先の利益誘導や上から目線の誘導にはもう乗りません。目を開いて現実を見ない前原氏に何を見るでしょうか。蛍ふたたび ― 2011年06月24日 11時14分47秒
そして、きのうは写真の通り、うちの裏に久々に現れました。シモクレンの厚い葉にとまり、光を放っていたのです。大きめで、写真の桃色の上の黒の模様からゲンジボタルであることがわかります。時期的にもそうであるようで、各地に飛び散って探しているのでしょう。そばの昔小川ではないのは残念ですが、コンクリート水路ではさすがにいられないでしょうね。
とにもかくにも、ふたたび発生するようになってきたのは幸いです。決して環境の改善によるものではなく、部分的な生息環境の幸運な放置された保持による一時的な現象と考えています。かつてたくさん飛び交ってその夜の光の乱舞を楽しんだ時代とは全く異なり、破壊された環境は元には戻りません。違った形で新たに創造していく人々の意識の変革がここでも求められています。ホタル発生 ― 2011年06月16日 17時08分40秒
昔はうちの畑の横の小川にもたくさんいたのですが、めっきり減ってしまって寂しい限りです。でも数はいなくともそうやって細々とでも生存しているのは喜ばしいかぎりです。かろうじて生き残っていた、ともいえるのかもしれませんが、急速な人工化の中で生物自体が数も種類も大きく減らしていて、目にする機会もとにかく少ないのです。春から夏は生き物たちの天国であるかのように飛び回っていた時代が懐かしく思い起こされます。
今は環境保護、保全だとかいって盛んに活動されている人たちも多いのですが、現実は身近にいない、という致命的な問題を抱えています。子供たちも野外での遊びや探検、自ら触れあう命の姿を実体験していません。社会の変容と環境の一方での急速な悪化、いえ、喪失が招いた生物の生存危機に直面してなお、生きるためだとか、生活のためだとか言ってこの田舎でも破壊の進行は目を覆うものがあります。どうやって食い止め、教育を為し、意識の変革と社会の新生を図っていけばよいのか、日々悩むところです。大雨続く ― 2011年05月30日 07時38分58秒
一方で、小さな水路や周辺からの流れ込みは極端な水量とはなっていません。これは各所でのせき止めや迂回を意図した対策によるものでしょう。それでも、いえ、だからこその大川への降水・流水の集中がおこっていると考えられます。これは却って氾濫と洪水や浸水の危険を増すことになってしまいます。さらには、それぞれの河川や水路は居住域ではほとんどが三面張りなのです。それでは水流は激しく、また大量となるのは必然です。
午後にはやむと予想されていますが、これからのこういった局地的かつ集中的な降雨や水害の対策のためにも、自然工法や環境に調和する河川の「改修」(かつての水系への復帰)を考慮にいれなければなりません。また、いつものことですが、中止や休校、停止、見合わせなどを決めるのは先に確かに予測されているときにしないで、今日のようにほぼやむ、とわかっているのにする、という愚かしさの中にあることです。これもまた、どうかしています。もうひとつ、気がかりなのは、川を見ていてわかるその濁りのもと、つまり表土流出の量の多さです。どれほどの土が失われるのでしょうか。これもまた、緑と水系の回復や修復、あるいは工夫で防げるのではないでしょうか。南三陸町の津波被害 ― 2011年03月13日 19時13分51秒
地図や写真を総合してみると、津波は湾で集約されて大きなうねりとなって高さは10mを超えていたと思われます。町の中央部を呑み込んだその海水は中心部全域を覆い、とても逃げ遅れた人たちを助けることはできなかったと思われます。津波自体は4~5mほどでもその陸地の構造や河川、湾口などの造りと流れにより深く、しかも速く進むという実態を知ることができます。
学ぶことは数多いのですが、何より、この大地震の復旧を含め、全国民の知恵と力の結集が必要です。どのようにその災害からの回復とこれからの構築、防災を考えるか、地震国日本に住む私たちの、まさに命がけの姿勢が試されるのです。増水、濁流 ― 2011年02月28日 12時57分21秒
アラブ世界でさえ、現在の大きな民主的な自由な社会を求めるうねりは止められません。確かに、リビアのカダフィ一派と部族社会といわれるその国の一様でない姿には不安と心配はありますが、底流にあるその心からの自由への渇望は部族や分断を超えた若い人たちを中心としたわき上がる力を感じさせます。私たちには何も実質的にはできませんが、この躍動とともに歩むのは不可能ではありません。何らかの形で連帯を示し、その明日を創る手助けをしなければなりません。
今の日本の現状を見聞きし知るにつけ、うかうかとしてはいられない、そんな気持ちがわき起こります。私自身の周りでも、少しですが、良くしようという人たちの声があります。なにより、よくないもの、歪んだもの、汚いもの、そういったものを白日の下にさらして事実を直視し、少しでもよくしよう、変えていこうという気持ちを一人一人が持ってほしい、そういう思いが尽きません。愚かさと幼さばかりがめだつこの町、この地域ですが、なにより、その第一歩はやはり、知らしめるべし、です。訳のわからない声や風聞ではなく、確かなものをとらえて声をあげなければなりません。iPhone入り ― 2011年02月22日 18時26分25秒
ショップのお姉さんはきれいな方で、思わず見つめてしまいましたが、それ以上は何もできるはずもなく、ただその作業と説明に見入っていました。まあ、なんやかやで、2時間もたっぷりかかり、私はいったい...。の心境で少し変な気分ではあったのですが、無事、近くにあったKDDIのショップにSIMカードも渡してアップルというよりはソフトバンクに転入したのでした。
帰り道、市内の最大河川では浚渫と同時の河川敷の整備なのか、撤去、つまり破壊なのかわからない作業を重機を使ってやっていました。この河川もまた、せっかくできていた二次的な環境さえも誰かの勝手な意図により奪われてしまうのです。生きていた生き物たちはどうしたでしょうか。春なのに。これからの命、わたしもまた、電話を変えて新たな出発です。冬の湖水 ― 2010年12月04日 21時20分19秒
また一週間ぶりに湖水に浮かぶ水鳥たちを見にいきました。晴れた日より少なめでしたが、それなりにいて、数も種類もそこそこでした。目立ったのはオオバン、ヒドリガモ、マガモ、ハジロ類。
午後の日差しが湖面に丸く差し込み、暗いどんよりとした曇り空ながら、その後光のような輝きが希望を与えてくれたようで、すこし救われた気分でした。陰影と光の織りなすあざないに日本の美しさを見るようです。明日こそ必ず。好天の湖畔 ― 2010年11月03日 18時47分51秒
そして、湖畔の鳥がいつもこの地域は特徴的です。単独でいるところを見つけることがままあり、そういった環境なのだ、と得心がいくのです。普段は静かで、まあ、鳥獣保護区に指定されていて猟銃使用禁止の地域ですが、国定公園ながら以外に落ち着いていて、訪れる人たちは湖にばかり関心がいきがちです。周囲の急峻な斜面や引っ込んだ湾口などに意外に珍しい鳥たちがやってきて羽を休めるのです。それで、今日の野鳥は写真のノドグロツグミらしき一羽です。
前にも記事にしましたが、やはり、虚心でそのままの姿勢こそ出会いの機会を与えてくれるのです。変に、見つけてやろう、とか、ましてや自慢するために、などといった欲望をもってはなりません。ただ歩き、ただ自然の中に身を置いてその環境に自身を同一視するかのように溶け込む、そんな気持ちでいることが偶然とはいえ思いがけない出会いをもたらすのだと信じます。まあ、美しい人に出会えれば何よりなんですが。* 写真の鳥はクロツグミだそうです。
湖水地方の午後 ― 2010年02月14日 16時14分03秒
先週やその前とは違って、水鳥はあまりいませんでした。それでも2つの湖を併せて100羽は軽く超えてはいました。静かな湖面を多くの鳥たちが行き交いまた浮かんでいる様はとても穏やかで落ち着く風景です。ただやはり、気にかかるのはその水の汚さです。とりわけ、大きな方の湖の、外の汽水湖につながる水路の周辺の汚さは一目瞭然の泥水のような色なのです。土色とアオミドロを合わせたようなどろどろとした濁りで、とても美しいとはいえません。
吹き寄せられるのはこの西岸への波の動きで、そのためはっきりと真ん中あたりで色が違います。なぜこんなに濁るのか、なぜ薄らいだり解消したりしないのか、なぜ水際の、いえ、湖岸から始まるはずの水草の姿が見えないのか、答えは誰もが知っているのです。でも、そのかつての美しい水面と湖水と周囲の風景の再生はかんたんではありません。どのように、どうすればこれ以上悪化させることなく再生を図っていけるのか、私たちが試されようとしています。









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