松岡農水相の自殺2007年05月28日 21時38分30秒

自殺という形で命を絶った人を後から悪くは言うまい、と誰もが思います。実際、この松岡大臣も大きな疑惑を払拭することなく、かつて多かった「秘書の自殺」と事実上同じような理由で(と推量します)持って隠さざるを得なかった、そんな方だからこそ、どうにか自身でその死の覚悟の上で解決を図れなかったのか、と残念に思います。その意味でとても気の毒です。

でも、問題なのは、おそらく当初から同じ代議士・党員ならわかっていたはずの問題を抱えた人を任命し、庇い続けた首相の態度とその意図です。死を選ばせたのは、死まで結局のところ追い込んでしまったのは、本人以上に、とめられたはずの首相です。早い段階で、退かせ、大臣の重責をおろさせていたなら死をもって、とまでは至らなかった、と信じます。農林水産行政の責任者として、あるべき姿勢を持ち得なかったのは周知の事実を軽く考えすぎた首相の浅はかさゆえ、それこそがこの結果を招いた主因だと思うのです。

この現実と世論調査といくつもの疑惑や失言失態を見るにつけ、安倍内閣はすでに死に体であり、この象徴的な現職閣僚の自殺そのものがこの内閣の自死に至る頂点でしょう。首相こそ、潔く、今すぐに総辞職して終わらせるべき、そのときだと私は思います。死を持って守ろうとしたものが何だったのか、政治家はどうすべきか、「美しい国」を造りたいのなら、決断して国民に問うべきでしょう。

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_ 自由奔放「言いたい放題」 - 2007年05月28日 22時35分25秒

5月28日。
現職大臣が自殺したと言うニュースが大きく報道された。
東京都知事のコメントも流れたが、実に戦前的である。
「死を持って償った、彼も侍だった」と言っていたが、
死ねば償えるのか?侍なのか?
死を美徳とする古いナンセンスな考え方である。
ラジオのとある宗教番組では、番組冒頭に「自殺とは、
愚か者の結論なり」と言うフレーズがあった。
私はこの宗教の信者ではないが、このフレーズに関しては
支持している。
現職大臣とは公人であろう。
公人ならば疑惑に関して正しくかつ判りやすく答えるのも
義務・公務の一つだろう。
再三追求されながら、理解でき納得できる答弁など無い。
終始逃げ回っていた。
「死人に口なし」と言う言葉もある。
これでは誰かをかばって口を永久に閉じたと勘ぐられても
仕方の無い行為であろう。
その誰かとは誰だ?本当に居るのか?と言う新たな疑問は
生ずるが。
死んでまで悪く言う事は無いだろうと言う意見もある。
私人ならばその意見にも同意同調も出来るが、公人で
ある以上は卑怯であるとしか言えない。
ただ、亡くなった以上個人名は控える事とした。
極論的に言えば、「自殺とは究極の逃亡」である。
追い詰められての自殺と言うのであれば実に卑怯な
行為である。
周りは追い詰めては居ない。
勝手に追い詰められたと考えられては国民の迷惑。