悲しい時代 ― 2015年09月28日 18時39分44秒
今の時期、夜になると(日没後2時間弱後くらい)スズムシと前後して聞こえてくる虫の音と共に私たち自身の心の安らぎに働きかけるように秋の夜の静謐さを「その音色」に増幅させて時空に共鳴させて残響として私たち日本人に社会のある姿を映し出しているかのような感覚を覚えさせます。ここは日本、我々は他ならぬ日本人なのだ、と再認識させてくれます。コオロギより、スズムシの方が我々に好まれる理由です。時折その弦を止め、再開させてより強く、また更に染入らせるように響かせているのは彼らの命のメッセージだと信じるのは思い込みが強すぎるでしょうか。
麻由子さんは若く都会に住まわれているからかもしれません。ただ、私たちの子供のころのコオロギの対戦などの遊びとは異なる今になっての中国流のコオロギ相撲に違和感と共に秋の夜のもの悲しさとは全く異なった現代の悲しい姿、例えば、小さな昆虫の生の儚い命を懸けてつなぐ悲しい旋律を果たしてその企画と日本とは感覚や情感の違う中国直輸入での遊びのなかで語り継ぐ~何か~を見出させることに繋がるとは思えません。知られていたこのコオロギ相撲の突発的な再開はやはりその場限りに留めたいと願います。共に生きる小さな命の生の発露に我々自身の命を映し、見つめなおし祈る我々自身は奏でられる音色と語り継ぐべき命の実存にそれを体に響かせて明日を知る、日本の有様そのままの姿は決して中国流のコオロギ相撲(対戦)ではありますまい。美しかった麻由子さんの空間への投影として受け止めていきたいのです。
外界の怖れ ― 2014年09月15日 06時44分04秒
その間、乗客たちは乗り込んできたときからのまま無表情で、その親子に席を譲ってあげた眼鏡をかけた中年男性だけがにこにこしていましたが、都会からの電車ではその乗客たちの態度や表情はごく当たり前の光景だったでしょう。ただ、そのこどもにとっては、おそらく、初めての環境であり、その無表情さと冷淡さの混じった列車内の雰囲気はとてつもなく恐ろしい、不気味で耐え難い状況だったにちがいありません。
入ってきたときから、乗客一人ひとりの顔を矯めつ眇めつ見つめていたさまはまさに恐怖の館への第一歩であったのです。父親にしがみつく様子と泣く声の恐怖そのものの響きはそれ以外のなにものでもなかったと感じました。おそらく、推量に過ぎませんが、このこどもはまだ電車という環境に慣れるには相当な時間と体験が必要でしょう。もっと、親しみやすい人々との触れ合いを積み重ねていくことがその前提となるはずです。求めなければ ― 2014年08月18日 05時44分36秒
必要なものは明示的に求めていかなければ為し得ません.求めなければ動かないし、得られない、とは摂理です。
命には必要なのです。それで、生き続けるのです。それは、他者のものでも、奪うものでもありません。でも、注文はゆがめば何もつくれません。早くに本体を得ることです。浦和レッズ横断幕事件 ― 2014年03月16日 21時09分08秒
以前に私も記事にした、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムと通底する「在日」へのいわれのない差別・区別があります。多くの日本人は彼らのような差別意識はないものと私は信じます。歴史的にも、朝鮮半島あるいは中国本土からの日本列島への移入者はたくさんいたし、わざわざ呼んで来てもいたわけで、その人々からの知識や技術は大和の国の建設と維持に与って力あったのですし、その「混血」は広くあったと思われます。どこからが「朝鮮人」で「中国人」で「日本人」か、あるいは南方の人々か、といったことはおそらく誰にもわかりません。彼ら自身、その血は何%がどういった起源なのかは100%わからないでしょう。
それにもまして、その差別意識や誰かをスケープゴートにする、その発想や手口や喧伝が恐ろしいと感じさせられます。この[ Japanese Only ]の横断幕で無観客試合を余儀なくされる日本のサッカーに誇れるものはあるでしょうか。この国土に住むすべての人々が「JAPANESE(日本人)」であり、その誰かを犠牲にしていい理由などどこにもありません。ましてや、その彼らは「在日」の自作自演である、とうそぶくその「二重基準」(中川氏による)は彼ら自身の、いえ、同じように誰かを何かが起こるたびに責任や罪を擦り付ける、まさに、「日本人」の人間性さえ問われる思考や良心とものの見方に起因しているのです。これは、果たして、教育や社会の規制や啓蒙活動で矯正しあるいはなくしていくことができるでしょうか。どのような方策や人々の連帯が必要となるのでしょうか。「日本人」の一人ひとりに考えてもらいたい問題です。
近くて遠い山 ― 2013年12月01日 20時34分48秒
途中の崩壊場所では手前での大きな迂回と急斜面の登り道を新たに作り、分岐からはしんどい急登で、ちょうど12時前、長い歩きでした。でも山頂からは360℃の眺望で、天候もよく、やはり、前日に山歩きを決めたのはとてもよい選択でした。実に、7ヶ月ぶりでしたし、山の中はわたしにとってこの上ない心地よさを与えてくれ、山を歩くことで気持ちも良い方向にむかうと信じています。
下りも道はこのての山としては大変で、整備はこれからもかかせない、という、名の知れた山の割に歩く人は少ない、という現実と切り離せないというこの現状をどうすればいいのか、この町の人々共々、考える必要がありそうです。とくに、林道の崩れや荒れ様は早急な対策が求められます。とにもかくにも、好天で穏やかな初冬の山歩きは少し、健康を取り戻すきっかけとなったようです。2日目の朝 ― 2013年10月06日 22時31分59秒
今日は大変だと思っていましたが、やはり、昨日のような状態では昨日の記述に課題が残っていました。今日は予想とは裏腹に結果を残せたのではないか、と。
お勉強をしにいったのですから、他に何もなかったのは当然といえばそうなんですが、何のアフェアもなかったというのはあまりに寂しく、悲しい過ごし方です。夕方までで疲れましたし、何かがあるとは期待もできませんが、もし幸運の巡り合わせがあれば、とはいつも外に出る度に思うのです。晴れたのに。忘れられること ― 2013年10月01日 20時35分54秒
日頃、あまり交通機関を利用しないせいか、生徒達が記述するのをみていると、この地域の何を本当にわたしは考えているのだろうか、と内省してしまいます。現実に利用する未成年の彼らとは生活の様式も形態も方向も異なっているのだ、と実感します。そして、自分自身の生活圏にはない風景と環境をことばだけで素通りさせてしまうとき、もうすでにこの地域の思考に入らない部分を知るのです。
多く、自動車の利用の自意識による推進と不便さの解消のためになおさらに交通機関からの迂回と排除を進めるとき、わたしたちは社会の成り立ちにこれまで大きな役割を演じ、なお若い彼らの意識に深く根ざす風景から遠ざかることに私たち自身が衰退と衰亡に加担しているのだと感じさせられざるを得ません。失うわけにもいかず、かといってその不便さからは逃れることしか生活そのものを成り立たせられないジレンマの中、ただ記憶や意識から外に追いやる以外、方法のない今をどうするのがいいのか、考え込んでしまいます。解決策などありません、と言い切ることは一つの逃げ道でしょうか。「親切」って何ですか ― 2013年09月17日 20時43分25秒
あいさつ、お礼、お返し、ゴミや迷惑を控える、などは親切ですることなのですか。そんなことあたりまえに行うことです。もちろん、誰もが機嫌良く、というわけにはいきませんから、そうする人、同じ人でもするときとしないときもあり、とは人の常です。ただ、こんなことを小さな親切、と銘打って広めなければならない、このことに私たちは現在の社会の状況の一端をしるべきなのです。その意味では、それなりに啓蒙されるべきところです。
席を譲る、手伝う、そのとき黙ってする方もいます。でも圧倒的に多いのはしない人、その反対の行為をしてしまう人、そして素知らぬ顔でいる人です。そのためにも、日頃から対人的なやりとりにできる限り慣れることは必要条件である、というのはよく分かります。ただ、それが時として逆襲にあったり、因縁をつけたつけられたの関係や諍いとなるなども決して珍しくはありません。ちょっとした親切のつもりがとんでもないことに、というのもあり得る話で、まさに、人というのは恐ろしい存在です。社会道徳の衰退を招いたのはなんなのか、冷たくやりきれない、余裕のない人々の生活を強いているのは何か、今から誰もが考えなければなりません。重なりに善し悪し ― 2013年09月11日 21時23分35秒
光の重なる様を見つめるとき、生きている実感にさえ浸ることができます。良きもの、良きこと、良き兆し、そんな時間と空間の共有こそ、私たちの望む姿です。幾重にも、とは文学的です。そのことばで甘利経産相は福島の一号機の汚染水漏れを防ぐ、とのたまったのですが、その重なりで緩やかにしたとしても、漏れ自体を何らかの方法で止めなければおなじことです。いまからでも、別の工学的な手法によるフェイルセーフの機構を考案すべきです。文学的な実効に乏しい間に合わせではよろしくありません。
思えば2年半前、事故を、いえ、津波を防げなかった思慮のなさはそういった冷却水タンクの羅列にその重なりを見ます。始めから無理な立地と安易な建設・予想しなかったが故の海への対処などを顧みれば、そこに見えるのは幻でしかない原子力の利用です。廃棄物をのみ考えても重なる目を閉じた人々の愚かさだけに割に合わない愚行を始めてしまったつけを今払い続けなければならない、汚染水と同じ現実の中に私たちはいるのです。暗澹たる朝―五輪2020東京 ― 2013年09月08日 20時41分52秒
いわく、「経済の活性化」、いわく、「日本を元気に」………どうかしてます。要は、金儲けの手段、見せかけの活性化、目をそらすため、などなど、本音と目的が透けて見えます。なにより、批判を浴びたように、東北のことを忘れたかのようなその喜びようや浮かれて騒ぐかれらの神経を疑います。福島は東京から「遠く」離れている、と繰り返す中に、反省も思いやりも支え合いも、「絆」もありません。東京やその周辺だけが得をするのであって、その他の地域、とりわけ、”そんなこと”のために多額の税金と資材と人員を盗られる東北の被災地にとって心から喜べることでは到底ないでしょう。メーンスタジアムだけでも、1300億円だとかいう、そのお金があればどれほどの整備と復興にまわせるでしょうか。
写真は各地に造られた国分寺のひとつです。支配の手段としても、またその地域・地方の中心としても、象徴的な寺院でした。その分配されたものは分配され伝達される大切な存在であったのかもしれません。古代の人々は一地域だけをみていたのではありません。また、馬鹿騒ぎとも無縁でしたでしょう。もっと、足下を見、地に足を付け、人々を見なければなりません。目をそらすための愚かしさに目を奪われてはなりません。
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