三度目のESWL2009年11月02日 20時06分10秒

きょうは予定していたのではなかったのですが、急遽破砕を行うことになり、午前中の予定が夕方までかかりました。前回のようにびくんびくんすることはありませんでしたが、きょうも痛かったのです。でも「外傷」などはなく、無事終えられて帰還しました。きょうはなぜか、看護師さんも先生もほかの職員の方々もお優しく、丁寧で、変な気分でしたが、ともかくも重大事にはいたらず感謝です。

天候の急変があり、午後は強風、降雨、空腹(?)で大変でした。列車も一時運行見合わせ、徐行運転で遅れに遅れて困りものです。以前のディーゼル機関車は車両の重さや力強さでなんとかなったものでしたが、今の電気列車はひ弱です。車体の軽さはいいことなのでしょうけど、昨今の気候変動による強風や荒天にはついていけないみたいで、この気象をなんとかもとにもどさねばなりません。

寒くなり、こたつをいれました。昨日までの暖かさが恋しい夜です。いえ、寂しさがなおいっそうその思いを募らせるのかもしれません。一日も早くこちらも解消しなければなりません。

寒い一日2009年11月03日 23時33分51秒

ソヨゴの実
雨のぱらつく、時雨模様でしたが、実際の降雨はわずかでその時間もごく短く、ほとん ど曇りの一日でしたが、朝を極大として北風の冷たい冬のような天候でした。

山では道の脇のリンドウもしぼんだまま、いえ、つぼみのままで2輪、ただ立っている風情は悲しい ものが見えてきます。常緑のソヨゴも実となり、厚い艶のある葉はしっかりとしていて、およそ落葉 とは無縁(あたりまえか)の力強い立像です。寒さとも無縁でしょう。

人の心も冷たくなるとなお一層殺伐としてきます。求めても得られないもどかしさ以上のつらさ、 耐え難さをしのぐ間もなく酷い行いが目立ってきます。でも、私たちはそれを変えなければなりま せん。人間らしく生きるために、隷属することなく(だからこそ、人間たり得るのです=>シモー ヌ・ヴェイユ)他者の人権を守らなければなりません。この寒さを終わらせるために、自由と名誉 と尊厳を回復させなければなりません。

初日2009年11月04日 19時53分00秒

新しい仕事の初日でした。それほどの緊張感はありませんでしたが、 とまどい、取っつきにくさはやはりつきものです。まあ、一緒に働くことになった方々もいい人たちで、なんとかやってゆかねばなりません。今日は一日中内勤で単純作業でした。外に出てからがつらいかもしれません。

新しい「同僚」のひとたちも言っていましたが、かなりの就職難、低賃金、条件の低さ、扱いのひどさを感じます。困難な雇用情勢の転換を図るべく、新しい内閣のより一層の対策を望みます。

地域経済の停滞以上の圧迫感や低迷はおそらく東京の人たちにはおわかりにならないのでしょう。好景気を望むよりも、とにかく、すべての人に職を与え、憲法27条を空条文にしない環境を早急に構築せねばなりません。本当に。

疲れはどこから2009年11月05日 23時12分50秒

やはり、一日中の「立ち仕事」は疲れます。殊に足にきます。そのうえ、帰りは時間が無いので緩やかな坂道も懸命に自転車をこいで走らなければなりませんので、とりわけ膝から上の上部の筋肉に負担がかかります。それでも、がんばらなければなりません。なにせ、この状況ですから。住環境もよくないのであまり考えることもできません。神経もつかれています。休みたい、と体が言っています。

だからこそ、どんなことも、愚にもつかぬことで決められてはなりません。いえ、そもそも、他者が心ある別の人のかけがえのない人生を決定づけるなど許されません。ましてや、それが暴力や非道によりなされるとしたら、この世はおしまいです。ものごとを決めるのは、理性と人間性に基づく、合理的で道理に適った論理と脈絡のある公正な精神と意思です。いうまでもなく、利己的で自己中心的な思考や発想による選択肢が存在してはなりません。幼児性や人間として考えられない愚かさや集団による強要が出発点にあっては絶対になりません。

私たちは生まれながらにして自由であり、且つ平等です。また、それは他者によりどんな形であれ、暴力や非道で奪われても、侵害されてもなりません。これはまったく、あたりまえのことです。ですから、いうまでもなく、そういった蹂躙行為に及ぶ者たちに権利を主張することは認められません。ましてや、何の力もない、絶対少数の弱い人間をよってたかっていじめる、あるいは踏みにじる、そして奪うなど決して認められません。一刻も早く、人間が人間らしく生きることのできる社会を取り戻さねばなりません。

受け容れられない現実2009年11月06日 20時14分17秒

夕方、応募していたところから連絡がありました。その声の主によれば、すでに応募の時点で決まっていたとのこと、『まことに失礼ですが』などと言われ、なお傷つきました。失礼どころか、とても通常の対応とは呼べません。侮辱も甚だしい酷いやり方です。このことひとつを取っても、雇用者として完全に失格です。どうも、優位性をいいことに好き勝手に決められると考え違いをしているようです。今の雇用情勢は求職者には何の責任もありません。身勝手に過ぎます。

実際、酷い人でなしが多すぎます。暴力や脅迫によって人を従わせる、そんなことを当然のように言い、行う(かもしれない)連中の存在を許しているのは誰でしょうか。ひとりひとりがそういった非道に対し防波堤となり、理不尽な攻撃・排撃を跳ね返さなければなりません。心ある優しい人たち、絶対少数で苦しんでいる人たちをすべての悪や脅威から守らなければなりません。逆に加担・協力・同調するなど、言語道断です。被害者には何の原因も理由も、いうまでもなく、責任もあり得ません。

機会不均等、不平等、不公平、不公正、それらは社会をだめにします。ここは北朝鮮でもロシアでも、アフリカでも、そのほかの強権主義的国家でも宗教によって支配される理不尽きわまりない社会でも無いはずです。民主主義を是とし、基本的人権の保障されているはずの日本です。世界に誇りうる憲法を持った人間だけが住むことのできる、そういう国です。心から愛せる、そんな社会に戻さなければなりません。

明日への登り2009年11月07日 20時01分43秒

寺の裏の山道
写真は東への、城山の登り道です。お寺の横手からの山道をしばらくあがったところですが、もう急斜面へのとっかかりになっています。この道は私の好きな道です。この手前、愛宕神社との分岐手前からは西を見渡せて、きょうのようなよく晴れた日にはとてもすがすがしい風景を望むことができます。あまり最近は人も入らず、静かで気持ちのよい古い道です。群雄割拠の戦国時代、ここは城への、また城からの上り下りに早い最短のルートとして使われたようです。

明日への明るい西からの日差しを受けて急登する希望のもてる道なのです。東、太陽の昇る山頂を目指し、一気に上り詰める、力のはいる登りです。気合いだ、と誰かが叫んでもちっとも変ではない、古いながらもしっかりとした道です。最頂部は這って登るような急斜面ですが、あしたへの時代を超えた希望を叶える道なのです。

それにしても、島根県立大学の女子学生平岡都さんはどんなにか無念だったでしょうか。希望をそれこそ胸にいっぱい詰めて毎日励んでいたアルバイト先から忽然と消え、その思いだけが山中に残ったのでしょうか。残忍で許し難い事件ですが、こうやって犠牲になる女性をなんとかして未然に救えなかったのか、二度と繰り返されないよう、環境の整備と改善が早急に望まれます。

暖かい一日2009年11月08日 19時55分08秒

ボケとサザンカ
今日は気温も上昇し、とても昨日が立冬とは思えないほどで、お昼には25℃までになりました。朝も12℃を超えていて、なるほど、ボケの花も咲くはずです。西の町に出かけて、写真のサザンカも収めました。季節としては不思議ではありませんが、逆にこの暖かさに咲くのも奇妙といえば奇妙です。

それに引き替え、臥竜山は寒かったことでしょう。8合目付近で「胴体」のみ、が見つかったということで、なおさら、ぞっとします。何の原因も理由も責任ももちろんあり得なかった平岡都さんを突然襲ったのはいったい何だったのでしょうか。そういった行為に何の呵責も感じていないであろう犯人は今野放しです。彼女の怒りと無念をなんとしてもはらさねばなりません。

私たちは人間です。心があり、暖かい血が通い、たった一度の人生を生きています。誰にも、そのあたりまえの生活や夢や希望や権利を恣意的にあるいは計画的にねじ曲げられたり奪われたりする理由などありません。おぞましい醜さや欲望、またとんでもない考え違いで一方的に、どんな形であれ、暴力的に踏みにじられるなど、絶対に許されません。平岡都さんのニュースを見るたび、自分自身のこととして、その思いはいやが上にも高まります。人間らしい情緒と感情こそ、第一義的に必要です。

島根県立大学女子大生殺害事件~その32009年11月09日 19時50分07秒

先日、昨日と報道に合わせ一言ずつ述べてきましたが、今日はその3回目です。夢と希望に溢れた若い女性の命を一方的にしかもこれ以上ない残忍な方法で奪った犯人など決して許せません。誰もが抱くと思いますが、なぜ、そんな行為ができたのか、理解できませんし、未来永劫、理解したくありません。平岡都さんの怨念はまだ臥竜山をさまよっているはずです。他人事とは考えず、報いを犯人に受けさせ、彼女の苦しみと無念さを思い知らせなければ私たちは収まりません。

町から学生寮までの道筋の危険性を指摘する声が多いようですが、今夜のニュースでは防犯カメラまでの400mに連れ去られたということですから、よくある夜道の襲撃とは異なる犯行と考えられます。浜田市、島根県の地域性とは違って最初からの標的だったのではないか、そして町中の盲点とその特性を衝いたのではないか、と思われます。行きずりのたまさかの行為ではなかったはずです。

私たちは心ある女性を守らなければなりません。労働に関しても、いくら男女均等とはいっても、やはり、深夜はもちろん、夜間の労働も逆に法の制定以前よりも制限すべきだと思われます。現実問題として、昔の方が夜の守りは確かではなかったかと。今はこの手の犯罪や女性などを狙った卑劣な行為は枚挙にいとまがありませんし、人と人との関係の希薄化を超えて個々の人間の行為言動に抑制はもちろん、想起しうる範囲を超えた異常さを感じさせるところがあります。本来あるべき人間の姿を取り戻さなければなりません。

夢を守りたい2009年11月11日 21時00分28秒

中村雅俊さんのことばです。TVTokyoの地球街道での中村さんの特集の最後に出てきました。人はそのために、それによって、そしてそれだからこそ、生きているのです。生きていくのです。そんな精神的な支え、意志、強い気持ち、バックボーンの確かさを知るのです。

辛い時の続く今、新たな気持ちにさせてくれるのは他の誰でもなく、私たち自身です。気持ち一つで変われるのだ、と倉木麻衣もうたっていましたが、障害となる物事や者たちを乗り越えて変えてゆかねばなりません。

明日こそ、そんな思いを込めたことばとして、中村さんの見つめる先に夢をかけていきたいと声に出すことなく、ただ前に進むのみです。

夢の多い人生を断たれた2009年11月15日 19時47分02秒

3番目のリンドウ
東の山道に咲くリンドウもようやく、今年は3つめの花です。昨年はもっとありましたから、どうして減少したのか、周辺の環境や植生はほとんど変わっていませんので理由や原因を知ることは見た目には困難です。先の2つはもう花は白くなり、落ちる手前というところです。あればまだ花は咲く気候ではあるので、また来週あたり行ってみようと思っています。

今日は島根県立大の平岡都さんの告別式だったそうです。大学の学長のことば、表題の、『夢の多い人生を断たれた』との思いはどれほどだったか、想像しうる限り、いえ、共有し共感しうるだけに(自分自身の人生とも重なります)その無念さと気の遠くなりそうなその瞬間に心をうつす時、私自身、耐え難い思いにとらわれます。生きていれば、私のように、たとえ挫折や不遇の中にあっても、夢を見続け、生きる力ともすることができたのに、と狂おしくなります。

若い命を一方的に、理不尽に、力ずくで奪うなど、誰であれ、どのような手段であれ、絶対に許されることではありません。これからの二度とない時間、瞬間瞬間を生きる我々のその意志を心として未来に運ぶ我々自身の人生そのものはどの時点であれ、どんな形であれ、いうまでもなく、かけがえのない存在を我々自身がその証として示し続けるものです。かつて私も奪われたその時間をできるなら取り戻したい、と今もなお思いおこすのです。ましてや、突然絶たれたその時間の歩みを誰が補償できるでしょうか。