生活は成り立つのか2009年11月19日 22時21分01秒

今日はほぼ一日外仕事で山間の地域を回ってきました。狭いながらも家を建て、道路を造り、水を通し、命を取り入れる、そういった綿々と続いてきただろう暮らしを守る以上にどこか壊れそうな風景と将来を見据えたとはいえない光景を目の当たりにしてきました。どこかちぐはぐで、山の間ということで光はすぐに消えて暗くなる、そんなある種、宿命的な生活感覚を共有しているかのような地域です。

かつての宿場町だったところ、川沿いの歩道や灯りを取り付け、水の流れを中心に据えたまではよかったのですが、時すでに遅し、の感が拭えません。成功している各地の古い趣のある街道沿いとは異なり、今の生活そのものがそのままでているのです。もちろん、昔風の家並みなどありません。あまり、歩いて巡りたいとは思わない、寒い季節そのもののようでした。新しく造られた山の上を切り開いたニュータウンは売れ残った狭い土地があちこちにあり、人気の少ない寂しさと冷たさの覆い尽くすような場所です。車がなければ大変ですし、積雪時は辛いはずです。そして、往時は人の歩いた県境への道沿いの集落も寂れています。悲しささえ、漂います。

長くあった政権の無計画で無造作な作りがもたらした地域の疲弊と荒廃、そんな光景の広がる周縁部を見つめるとき、また一方で私たち、いえ、私自身、そんな生活のまっただ中にあるのだと身にしみて思えてきます。長い間求め続けた、「豊かさ」とは何だったのか、衰退と寂寥感に満ちたそんな山間部をこそ、もっと町の人たちに見てもらいたいと思うのです。この土地を捨てて都会に出て行った人たちにも。もう一度、明日を再考していただきたいのです。