疲れはどこから2009年11月05日 23時12分50秒

やはり、一日中の「立ち仕事」は疲れます。殊に足にきます。そのうえ、帰りは時間が無いので緩やかな坂道も懸命に自転車をこいで走らなければなりませんので、とりわけ膝から上の上部の筋肉に負担がかかります。それでも、がんばらなければなりません。なにせ、この状況ですから。住環境もよくないのであまり考えることもできません。神経もつかれています。休みたい、と体が言っています。

だからこそ、どんなことも、愚にもつかぬことで決められてはなりません。いえ、そもそも、他者が心ある別の人のかけがえのない人生を決定づけるなど許されません。ましてや、それが暴力や非道によりなされるとしたら、この世はおしまいです。ものごとを決めるのは、理性と人間性に基づく、合理的で道理に適った論理と脈絡のある公正な精神と意思です。いうまでもなく、利己的で自己中心的な思考や発想による選択肢が存在してはなりません。幼児性や人間として考えられない愚かさや集団による強要が出発点にあっては絶対になりません。

私たちは生まれながらにして自由であり、且つ平等です。また、それは他者によりどんな形であれ、暴力や非道で奪われても、侵害されてもなりません。これはまったく、あたりまえのことです。ですから、いうまでもなく、そういった蹂躙行為に及ぶ者たちに権利を主張することは認められません。ましてや、何の力もない、絶対少数の弱い人間をよってたかっていじめる、あるいは踏みにじる、そして奪うなど決して認められません。一刻も早く、人間が人間らしく生きることのできる社会を取り戻さねばなりません。