守られる命2005年05月19日 21時00分48秒

大阪ガスの「ホームセキュリティ」なるものの宣伝をTVコマーシャルでやって います。私の好きな、かつてのきれいなお姉さん、水野真紀さんを使ってい るところが憎らしいのですが、両者にとり、お金のためとはいえ、こんなCM を作り、また笑顔で宣伝しているのは悲しい限りです。他人が、自分の家に づかづかと入り込んできて、何もかも、『セキュリティ』で”安心”などとは、そ らおそろしい。他者の関わりのない、自由で私的な生活こそ、本当の”安心 ”なのは誰もがわかっているはずです。それでも、こんなことがお金に結び つくほどに、もっとひどい侵入者がスキを窺っている、とはまた現代の一面 だ、とうそぶくのも、それが現実だ、と豪語するのも正当化に聞こえます。

ひどいこと、ひどい言動、ひどい扱いをされないよう、させないよう、我々が 守って”やって”いる、と声高にまで叫ぶ人たちもまたいます。私自身、耐え がたい苦痛からの解放を願い生きているのですが、その苦しみを防ぐ一面 の現実も存在します。でも、それは計画的に為された犯罪事実に基づくも のですし、それを継続させたのは他ならぬ、他人です。教育者面した連中、 心配顔の友達面した連中、監督者的態度で取り巻く連中、などなど、その 醜さ酷さ卑しさを隠さんがため、また自身の悪意や加害行為を覆わんがた め、加担したのです。でも、私自身も、完全に、自由でありたいと願います。 それこそ、そのときこそ、真の”安心”を得られるのです。

そのコマーシャルを挟んでいた番組の中で、14年間、まさに、お守りその ものと一緒にじっと、静かに、女性とその家族の幸福を守り続けた元刑事 の存在を主題にしていましたが、本当に守られるべきはその心なのです。 その思いこそ、真の強さであり、その気持ちこそ安らかな心の礎だったで しょう。

捨て猫の子猫が一匹で放置されていたこの数日、誰も救おうとはしません でした。声をかけ、見守り、何とかより生きていけるような、安全な場所へと 願ったのですが、私の声ではかえってこの子猫を遠ざけてしまいました。も う見ることは叶いませんが、逆に追いやってしまった罪を感じます。でも、そ れにもまして、放っておくことを良しとする一般通念に従ったその他の圧倒的 多数の人たちに、どんな気持ちがあったでしょうか。命は共有すべき時間を 生きることそのものなのですから、もっと早く、もっと何とかしようと誰彼なく かかわっていれば、私などより心ある人が救ってくれたはず、と信じたいの です。

見捨てられた時にその共有空間から、木々や草葉の輝きから排除され、 生を失ってゆくのです。あとは、その時間の進行に加速度的に巻き込まれる のか、引きずられるのかの違いだけでしょう。それを、小さな命はその体験 の中で失うのです。遅かれ早かれ。長らえる環境はこの田舎でも奪われて 来ています。例外なく三面張りの水路、アスファルトの道路、コンクリートの 街路や建造、暗渠の意図的計画的増進、合成プラスチックスの多用、そし てそれらを支え、いや、そのおかげで支えられるコンクリート製造会社やい わゆる土木・建築会社のおぞましい多さなど、私たちだけでなく、小さな命 を”惜しみなく奪う”冷たく非生物的陥穽はやはり私たち自身を苦しめてい ます。気づかない、気づかせない、知ろうとしない、そんな態度でいつまで 私たちが”守られる”というのでしょうか。そもそも、それで、命や生活が” 守られる”と本当に信じているのでしょうか。何も感じないのでしょうか。

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