醜さを生むもの2005年05月28日 19時44分14秒

見かけや見栄えを意識して整え、固めた訳ではないでしょうが、農道という か、集落と集落をちょいとまたぐ幅員2~3mの細い道(これもアスファルト)の 無理して造った田の西側は、少し前までちょっとした雨で崩れ、放置されて いたのがついこの間コンクリートの薄めの貼り付けで「直されて」いました。 緑と土の周囲とはなじまない灰色の一部の壁はまたいずれ上から崩れる のを待っているかのように、ほんとに、貼り付けられた蓋のようです。

もともと、山からの斜面上に段階的に田畑が成されてきたのですが、この 20年ほどの間にかなり無理のある強引な「土地改良」だとかいう「耕地整理 」が行われました。その結果、山沿いの集落の脇の田んぼまでもが無理の かかった造成に組み入れられたのです。どうしても水田は稲の生長をよくす るためか、時折各所で見られるハンノキや何かの一列の木々などは避けら れ灌木程度の植え込みにとどめられるのですがそれもないのがむしろ大半 ですから、よけいに本来土だけで固められた水田の区切りは弱いのです。 それがかなりの高さ、ここでは3mほどにもなりますが、自然の地形を利用 してきたかつての造りとはその係方に大きな違いが生じているようです。

歪みは無理のかかる場所に生じます。ゆがみやねじれに移るのはその存在 によるのですから、分散と勾配に発散される流れがなければいずれ崩壊す るのは道理です。ましてや、より、見た目を重視した、持ち主や施行者の意 図した「整えられた造り」はそれをみずから壊すように当て続けるのはどだい 、文字通り、無理があったのです。先を見ない生産性向上の企図は行う前 から意味をなくしていたことをわかっていたはずですが、どれだけの計画者・ 参画者がそれを認識していたのでしょうか。