未整備2005年06月01日 19時16分48秒

中世の歴史遺産としての城趾のある小山、通称城山に久しぶりにいってき ました。麓のお寺(安寿寺)からの急斜面を登るのは、中世の百姓足軽に でもなった気分で妙におもしろいのですが、この道は、それこそ、400年以上 、いえ、500年にもなるかもしれない古い道ながら、この城趾を観光スポット にともくろんでいる連中からすれば、「未整備」な道なのです。実際、這い上 がるのはよじ登るに近く、なかなか骨の折れる急坂です。それでも、いえ、 だからこそ、歩き甲斐、登り甲斐があるわけで、そこに私たち自身が中世に 思いをはせる機会を得るのです。

出城の土塁跡をすぎると、もう一つの、こんどは館跡からの本道と出合いま すが、そこはもう、コンクリートの横木と止め木、いえ、木ではないのですが 、その下地はこともあろうに、砂利を運び上げて敷いてありました。もう、台 無しですね。ここで歴史と文化を感じる歩みは遮断されてしまいました。

表向きは山肌が入山者によって荒らされないよう、また当然ながら(何が ?)歩きやすいように造られたのですが、これは本筋からかけ離れてしま います。掘り割りからまた元の山道ですが、これもいつまでか、と心配され ます。果たして、もくろみ通り、ここは観光の目玉になるのでしょうか。わたし はもちろん、静かな城跡であり続けてほしいと願います。かつての強者ども や住民の必死の籠城と戦のあとを後世に伝えるにはやはり、そのままで あることこそ出発点だからです。それに、ここは祖先のちょっとした誇りでも あるからです。

テントウムシの蛹2005年06月02日 21時03分32秒

卯の花、ウツギの葉っぱにテントウムシのなりかけ(さなぎ)が2形態でくっ ついていました。つまり、2匹ですね。そこから少し離れた別の葉にも幼虫 がうろうろしていました。うちの畑のジャガイモの葉にもいたのですが、ウツ ギに見つけたのは初めてです。明日あたり成虫になるのでしょうか。

子供の頃から、アブラムシ(Green Fly)をやっつけるテントウムシは益虫だか ら大切に、と言われその観察をしてはたのしんでいたものですが、こうやって いまでも見つけられるのは喜びです。恐ろしいのは、それを子供たちが見な いことです。実際、外を歩いていても、とくに田畑や野っ原に見かけなくなっ て久しく、本当に、これからどうなるのか、と空恐ろしさを覚えます。

知ることは第一歩、それは何気ない観察や感覚から生まれます。それは 教えられて身に付くものではありません。体感的に、体験的に、直に自分の 目や耳や体で感じることです。当たり前ですが、これが決定的に今の子供 たちに欠けているのです。自ら知る意思を持つことこそ、ですが、どこか、ず れているように思えます。人工環境に慣れ親しんでいる現在を私たちから 変えてゆかねばなりません。

気を見る2005年06月04日 20時03分08秒

機を見て敏なり、とはよく使われる文句ですが、生き馬の目を抜く都会や 政治の世界での処世術を問題とする気はありません。というより、まさに、 見えない空気や大気の状態、その変化、及ぼす影響など、もっと見るべき は大いに私たち自身の身の回りにあるのです。5月に記したマンテマなど も、外来種ながら、いえ、それだからこそ、その機を逃さずに一斉に開花し、 その生息場所を居着いてからずっと確保しているのです。それも、その気 を見ての感応と信じられるものです。

天気予報、最近(といっても、何年前からか)気象情報、と名を変えて逃げの 姿勢を一層明確にしてえらそうにテレビでも報じているわけですが、今日の 「情報」は雷でした。でも、ピカリともならず、当然、一ミリの降雨もありませ んでした。広い範囲を対象として、その予報も「確率予報」に切り替えてい ますから、どんな逃げ口上も通じます。彼らは最初に空を見て、気をみて、 空気に感じて「情報」を「作っている」のではありませんから、信じられるこ とばは生まれません。

ここで信ずべきは私たち自身の感覚です。外に立ち、土を踏みしめ、木々や 草花の色を見つめ、気をそのまま感じる心です。必要なのは「情報」ではな く、信じられる気持ちです。変化を知ることは私たち自身を知ることだからで す。鈍らせてはなりません。対峙する気持ちを高めることです。

心の平衡2005年06月06日 17時29分35秒

すべての事象は危ういバランスのもとに成り立っています。ちょっとしたゆら ぎ、少しの外力、相互の関係、どれをとってもそれが崩れるとき、たちまちに してゆがみ、壊れます。

私たちの心の中もまた、その命のバランスの中に存在しています。文字通り 適度な適応状態にあるとき、その平衡は外見上、止まって見えます。それに より他の系に働きかけうるのはまた自立的に平衡をもたらしうるときで、それ ならその系を含めた全体もまた恒常性は平衡として保たれるように作用しえ ます。でも、そう、ちょっとした気持ちの揺らぎや揺さぶりを、特に、外から受 けなければならなかったとき、そのバランスは一気に崩れるのです。それこ そ、他からみれば何でもないことでも、相互のわずかなバランス故に成り立 っていたとき、その崩壊は一方向に進んでしまいます。おそろしいのは、人 で無しの人間どもの中にはそれを待ってましたとばかりに利用し、変質的な 攻撃に使うことです。

バランスの具合は目には映らず、ただその平衡をそのままに任せて成り立 ち、私たちにはあたかもとどまっているかのように移ることです。それがその 中でのそれぞれの存在に従い相互に関係し合うからこそまた、その動的な 時間的進行を支え続けるのです。でも、その外からの、いえ、その外の系 自体の大きさ強さに脅かされる現実が著しい速度で進行しているのです。

迫り来る破壊2005年06月08日 19時17分08秒

先にあるところの中世の城趾ですが、そこに至る道を含め、その城山の下に 国道が通っています。もともとは旧街道に沿う形で敷設されたのですが、悪 いことに、アンバランスの解消をするための方策には手を付けず、いえ、ただ ただ増え続ける交通量(いいえ、自動車数)の輻輳化の回避のみのためにま た一本の道路を脇にこさえています。それがどうやら、なんの説明も了解も なしにこの城山を突っ切る予定らしいのです。

濃くなった緑を見つめるに付け、その山稜に沿う、ちょうど企図されているそ の道路の先には意外に貴重な広葉樹林の林を形成しています。植林地に 囲まれながらも、中世以来保持されてきた(一部ははるかにもっと古い)豊 かさを奪うことになるのです。実際、春からの新緑、夏の深さに埋もれた下 地の生え、秋の紅葉、と移る季節に沿うその変化こそ大切なかけがえのな い遺産です。一部といえども、失われることは耐え難く、取り返しのつかない 喪失です。

事前調査、説明、計画の見直し、さらには、渋滞の原因の解消のための方 策、といった本質的な問題には触れようとせず、ただやみくもに推し進める そのやり方は今の首相と本質的に変わりません。能なし、感覚無しの姿勢 はその返しに合うまで気づきもしないのでしょうか。耐え難い愚かさです。