気を見る ― 2005年06月04日 20時03分08秒
機を見て敏なり、とはよく使われる文句ですが、生き馬の目を抜く都会や
政治の世界での処世術を問題とする気はありません。というより、まさに、
見えない空気や大気の状態、その変化、及ぼす影響など、もっと見るべき
は大いに私たち自身の身の回りにあるのです。5月に記したマンテマなど
も、外来種ながら、いえ、それだからこそ、その機を逃さずに一斉に開花し、
その生息場所を居着いてからずっと確保しているのです。それも、その気
を見ての感応と信じられるものです。
天気予報、最近(といっても、何年前からか)気象情報、と名を変えて逃げの 姿勢を一層明確にしてえらそうにテレビでも報じているわけですが、今日の 「情報」は雷でした。でも、ピカリともならず、当然、一ミリの降雨もありませ んでした。広い範囲を対象として、その予報も「確率予報」に切り替えてい ますから、どんな逃げ口上も通じます。彼らは最初に空を見て、気をみて、 空気に感じて「情報」を「作っている」のではありませんから、信じられるこ とばは生まれません。
ここで信ずべきは私たち自身の感覚です。外に立ち、土を踏みしめ、木々や 草花の色を見つめ、気をそのまま感じる心です。必要なのは「情報」ではな く、信じられる気持ちです。変化を知ることは私たち自身を知ることだからで す。鈍らせてはなりません。対峙する気持ちを高めることです。コメント
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