ことばの姿2005年05月17日 20時46分27秒

人の声を聞くとき、発することばから私たちはイメージをします。その虚像に 姿形を思い浮かべ、印象を抱くのです。そして、それらのことばが何らかの 伝達であるとき、そこにはまたある姿をイメージすることになります。それは 発語者の発語者によるイメージとはしばしば異なり、聞き手である私たちの ための姿形を造り上げるのです。

乱暴な言い方はいうまでもありませんが、前後のことばの強さや刺すような 辛辣さ、ましてやその荒れたことばことばなどが続くとき、そこからは荒涼と した光景、すさんだ心の情景、さらには心なく破壊された瓦礫や埃のたちの ぼる、テロにでもあったかのような耐え難い幻惑など、その脈絡の異なるひ どい言動にはその発語者の人面獣的なイメージを浮かべてしまいます。ま た、あれほど激しく、おそろしいほどに連続的に行われた反日デモにもかか わらず、我が国の愚かな首相はまだ本当には理解していない、いや、自ら 知ることを拒むかのような、灰黒色の風景をイメージさせる国会答弁をして います。それを諫めるどころか、言及すらしない同じ内閣の閣僚や高官にい たってはその寒々として弱々しい姿を恐ろしくも貼り付けるかのような無為 無意味なことばの羅列を平然としています。いったい、どういう結果になり、 まさに、国益を損なう程度がどの程度なら、かれらは心にその対極のイメ ージを見いだすのでしょうか。

一年の内で最もうるわしくさわやかで気持ちのいいこの季節の風や木々の 葉の揺らめき動きを心に刻むとき、その表現は自ずと豊かに、また潤いの ある柔らかなことばを織り込むことになるでしょう。その中に今一番の緑の 輝きを目に焼き付け、それを否定するかのようなかれらの単色の暗い風景 はいったい、何を語れば変えることができるのでしょうか。