はだかる醜さ ― 2005年05月14日 19時37分56秒
あからさまな妨害行為は時に無垢の人に向けられます。気の弱そうな人、 1人でいる人、おとなしい人、小さな背の低い人、などなど、無抵抗で何も される(仕返し)おそれのない人をその対象にします。ちょっとした邪魔を する、程度なら、うっちゃっておけばすみますが、明白な個人攻撃を対抗 手段を持たない、持ち得ない状況で、しかも防御すらできない状態をみは からってしかけるのです。平然と、今日の先述の店員などは背も高いもの ですから、にやにや薄笑いを浮かべながら見下すように言いつけるわけ です。卑劣さの典型ですが、これに対抗手段はありません。
力を振るう者、幅をきかす者、圧迫する者、抑圧する者、束縛する者。彼ら のけもののような心からでている欲望に基づく醜さは激烈です。実際、圧倒 的なその力の前に優しい人は気力を失います。反省はもちろん、行為言動 に対する認識がありません。弱者は支配されてしかるべきもの、奪われて 当然の存在でしかありません。卑怯、卑劣、そしてその本質は卑屈な歪ん だ心です。どす黒いとさえ時として表現できるかもしれない、クズ(Pueraria lobata Ohwi)の繁茂も始まっています。道筋を覆い尽くし何もかも飲み込んで しまうその欲望そのものかと思えるほどの繁殖は何に依るのでしょうか。 何を求めているのでしょうか。 刈っても刈っても、また後から生えてきます。根っこからすべてを根絶しな ければ、と思うほどまた容易なことではありませんし、どこかに残り、秋の 始めには花を付けて種を残すのです。これもまた、いわゆる、クローン株の 伸長による種類で、ジェネットは一つなのかもしれません。でもそれにして も、その広がりとあちこちの、見かけの「集団」はその分布の強大さを知る とき、慄然とさせられます。かろうじて部分部分に止まり、田園を含めたこ の地の景観を保たせているのは他の存在こそその糧だからでしょうか。
行く手を阻み、立ちはだかり、道を遮るのは醜いその手です。この季節、 そしてこれからの暑い時期にその繁みを避けて通れない悲しさからどう すれば抜け出せるのでしょうか。
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