不釣り合い ― 2005年05月25日 20時48分38秒
悲しく思うときはしばしばありますけど、うつむくよりは前を見ようとおもうのも
意外にその性を示しうるのか、とかんがえたりもします。現実の相も変わらぬ破壊行為にうつつをぬかす「XX建設」という名の暴力会社(語弊がありま
す)、その耳障りな音に片耳をとられても、もう一方でまだやまぬウグイスや
シジュウカラのせわしく高い吃雑音のそばを通れば、まだまだ、いえ、なんと
かしてこれ以上の破壊は止めなければ、と強く思うものです。町の平野の
中心を国道が走り、その騒音は昼夜やまず、音の分布に異常をきたしたこ
の町を悲しくうとろんで見てしまうのはいつも沿う道にいるときです。
差があってこそ、の流れは音の中に無理はありません。川の流れ、雨降り、 山風の風切り音のざわめき、それらは心地よく響くこともよくあるものです。 葉の密度の違いこそ、生長にかかわり、不平衡な光の量の偏りに従うのは 不合理ではない、という変に思えても不変で普遍な植物の営みを支えています。これもまた、その分布の違いと多様さを作り出す一因でもあるのです。
恣意的に造りだされる不均衡は時に怒りを呼び、さらに人々の心に不 満や不平の元となり、不平等の起源ともなるのです。何のために、そんなに アンバランスを推し進めて押し殺し、抑えつけてまで為そうとするのか、どう してそれがさらに偏りと歪みを生み出しより悪化させていくことに目を向けよ うとしないのか、その対比を周りに見て、いつも考えるのです。Why?
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