愛媛県いじめ自殺の後2006年08月24日 22時06分46秒

夏の日差しの中で休むヒョウモンチョウの一種
シュレッダーの指切断事故よりも痛ましい事件がまた起きました。17日に愛媛県今治市で電柱で中学生が自殺しました。声による執拗ないじめが集中した結果といいます。遺書を残し、恨みを残したこの自殺はしかし、親をのぞいた関係者には一つの「事故」でしかなかったようです。

NNNNEWSリアルタイム(日本テレビ)での報道を見ましたが、この終わりにコメントした山本博氏の、年度替わりでの忙しさの中で(わすれてはいけませんが)引き継ぎがうまくなかった、との言葉に現れています。この人のコメントも、取材での校長の、認識はなかった、との返答もそのまま教師(学校)の無責任さと「認識の甘さ・低さ」を如実に表しています。あまりに軽く、ことばをとらえていた結果でしょう。そして、それは取り返しがつきません。

再発防止だとか、二度と「起こさない」、とかいったことを必ず後になっていうのです。でも、これは無意味ですし、母親の、『学校を恨みます』ということばの重さとは比較になりません。二度と、彼はこの世に戻らないのです。しかも、この事件は小学校でわかっていて、それを中学校に引き継いだ、というのですから、事は重大です。わかっていたことを防げずに(深刻にとらえていない)、死んでしまってから再発防止を云々しても何の意味もないばかりか、命の重さを全く感じていないことを大声で公言しているのと同じです。あきれた教師、教育委員会です。

無抵抗なおとなしい子をそこかしこで、ましてや教室でよってたかって小声で執拗に酷いことばでの暴力行為(誹謗中傷くらいではありません、とりわけされている子供にとっては)を繰り返されたことはどれほど耐え難い日常だったか、多くの加害者や「仕事」でしかない教師にとっては想像もつかないのです。でも、ひとたび同じ事をされれば、その「ことば」の重みをいやと言うほど知ることになるでしょう。

逃げること、避けること、追いやること、そういったことばかり考えているとしか思えない、教師たちやテレビのコメンテーター、また、「いじめられる感じの子ですか」と同級生に尋ねたテレビの記者と「はい」と答えたその同級生に自殺した子供を思いやる気持ちを感じることはできません。人生を奪い、命をうばったのは周囲のすべての者たちです。責任は逃れようがありませんし、その償いは生涯をかけてすべきです。時効など、ありません。