打ち水の愚、花火の愚2006年08月10日 21時11分29秒

昨年もそうでしたが、今年もまた、打ち水を大々的に行ってその効果を喧伝し、好ましい風情を演出していましたが、これは言うまでもなく、一時しのぎであり、その場しのぎのまさに、パフォーマンスに過ぎません。また、花火もまた、夏の風物詩のように行われますが、これもほんとにわずかな時間の刹那的な空しい享楽です。

気晴らし、そらし、逃げ。そういったことばで両者は表現できます。本当に考えるべき事態や事項を先延ばしにしたりすり替えたりうっちゃったりする、そんな態度を隠すかのような行為だからです。水を撒いて蒸散させれば気温はその場で一時的に低下する、それは当然ですし、ことさら取り上げて大騒ぎすることではありません。どこか、高くなった気温の原因の追求と対策を避けているようです。問題から逃げようとしているようです。

本当の美しさ、見事さ、彩り、そういったものはごく身近にも見出しうるのです。気づかないのではなく、見ようとしない、見つめようとしないから見えないのです。何より気づくべきはそんな自分自身の姿と態度でしょう。知るべきことを考える、そして行動する、そんな夏にしたいものです。