市井の監視は犯罪 ― 2007年06月07日 21時44分41秒
これは何も、旧軍部や今の自衛隊に限ったことではありません。実際、昔あった隣組の監視や通謀と共通した内実を私は知っています。道を天気のよい日は歩いている、時折止まってじっと見ている、あるいはまた写真を撮ってもいるらしい、とかだけで、不審と思いこみ、決めつけ、どうかすると逆に近寄って脅してくる、強圧的な態度で一方的に言いつける、常に離れたところから監視する、そんな行為を恥ずかしくもなく行う「住民」さえいます。本当に、恐ろしい、卑屈で見にくい行為です。現実として、何も悪くないのに監視される理由などありませんし、ましてやおかしなことを問われる理由もありません。それは明らかに、やさしくいっても名誉毀損であり、恫喝があれば脅迫行為でもあり、もしそれで歩く自由も奪われるとしたら、それは強要です。でも、それ以上に、人間として恐ろしく恥ずべき行為なのです。
そういった「住民」はきわめて都合のよい存在です。協力者となり、仲間や親しい人たちさえ、「売ってしまう」でしょう。その内実はもっと汚いものです。 自分たちの醜さ、卑しさをずっと以前から持っていて、その汚さを覆い隠さんがため、また第一に正当化するためにそれが当然であるかのように全くないことまで作り上げて(でっちあげて)それらをそうであったかのように自分たち自身で思いこみ、信じ込むのです。そういった連中が「ふつうの」「善良な」一般庶民として振る舞い、生活している、そんな空恐ろしさがこの地にはあります。本当に嘆かわしく、恥ずべき者たちです。必要なのはもちろん、誰かを標的にしてつるし上げたり、犠牲者にしてこと足れりとすることではなく、そういった自衛隊(あるいは軍部)や卑屈で浅はかな「住民」自身にその醜さや汚さ、その行為の元となっている彼ら自身の愚かさ幼さと著しい偏見や身勝手な先入観に気づかせることでしょう。もともと、信じ込んでいる彼らにとって、他者の言は「敵意」以外の何ものでもなく、聞く耳を持ちませんから、彼ら自身が逆にされる側におとしめることが効果的でしょう。同じ目に遭わなければわからないのです。昔からいうように、「馬鹿は死ななきゃ直らない」のです。
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