機会と始点2008年10月09日 20時54分38秒

アサギマダラとフジバカマ
国籍はどうあれ、ノーベル賞に4人もの日本人(血として)が選ばれたことはとても嬉しい出来事です。いずれも30年~40数年という長い年月の「検証」や「展開」の後のことですからなおさらです。でも、それでも、私から見れば4人共にとても恵まれていた、という第一の理由を考えてしまいます。生まれ持った能力は別として、教育を「受ける」あるいは「授けられる」機会、継続と学ぶ場の環境の良さという機会、虐げられたり辱められたり抑えつけられたり不当に奪われたりしなかった「当然の」存在の認容と受容という機会、そういった機会をすべて受けていたという、間違いなく私の目からみるなら、「幸運」はその結果を導くのに不可欠な要因だったと思うのです。

ともすれば、それぞれに、「地道な努力」だとか、研究に打ち込む「精神」だとかいったことが強調されたり、また、各人自身の口からも出させたりしがちですが、それは本質的に違う、誤りだ、と考えます。大切なのは、そして、必要なのは始めるに当たっての機会の均等、対等な立場、衡平で偏りのない環境であるはずです。それらが整って、あるいは保証されて初めて、同じ場での研究や競争のやり方なりが意味をもってくるのです。後は、何を見いだすか、閃きや運を呼び込むかは本人次第、となるわけです。

そして、何より、自由であること、これは大前提です。いうまでもなく、自由に生きることのできる環境、自由に考える精神の自由、この二つが当たり前に保証されるところでこそ、意欲や粘り強さが発揮できるのです。もちろん、その方向に駆り立てる何ものかが必要なのはいうまでもありません。

家の裏の畑のフジバカマに例年どおり、アサギマダラがやってきました。よほどこのクマリンのにおいがお好きなようで(私も好きです)何時間もへばりついていました。英気を養ってまた、遠く遙かな飛翔にでるのでしょう。

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