子供の自殺の悲劇再び-北海道滝川市-2006年10月02日 21時05分16秒

また痛ましい少女の自殺が報じられていました。今日の夕方のニュースでの滝川市教育委員会へのインタビューを見ていて腹が立ちました。薄笑いさえ浮かべて、『いじめの事実は確認できていない』だとか、遺書を『手紙をよんでもいじめのことばはなかったので』などと繰り返すのです。元々教育者であるはずの教育委員会の人とは信じられない言い方、態度です。

報道とその内容(遺書を含めて)から明らかな陰湿で卑劣ないじめを知るとき、どうして、もっと早く誰よりも、親や近親者らが気づいて手を打てなかったのか残念でなりません。自殺は唯一、防げる死なのです。心ある人たちが近くにいて、その追い詰められた心に気づいてやれたら、彼女は死なずにすんだのです。対応できたはずの、相談を受けた(訴えを受けた)教師はあまりに幼い、甘い認識でした。

今回のいじめもまた、周囲の密やかな遠巻きと冷淡さの広がり、無視と排斥、卑劣なこそこそとした攻撃(口撃を含む)など、典型的な顕在化を呈していたのです。こういった環境の変化(悪化)は大人の世界でもまた、悲しいことに多く見られます。どちらの不幸も、周囲の忌避と排除、相談者のいない環境によって急速に悪化、最悪の結果に至ります。

日本の社会自体が変わらなければ、つまり、私たち自身が変えていかなければこういった悲劇はなくなるどころか、増える一方でしょう。この国は、この社会は、人間を不幸にする社会なのです。