タンポポの行方 ― 2011年06月09日 20時45分51秒
国内の多くに今や支配的になりつつあるのは、萼が下向きにめくれている見るからに見苦しいセイヨウタンポポです。この種は確かに大量に取れますが、これを使うのはわたしは賛成できません。というのも、このセイヨウタンポポはいわゆるクローンで増えるタイプであり(高校の生物の教科書にもあります)、季節の見境なく蔓延るのです。放っておけば確かに増えて吸収してくれるかもしれませんが、後の始末や面倒を見なければ大変なことになってしまいます。
在来種は今でも残っています。わたしの住むこの土地でも数種、山あいや鉄道沿線にさえあります。他にも、田んぼの畦などにも残っているのもあるのですが(いくつか種を保存してます)、その生存や継承を危ぶませることになりかねません。これは日本固有のタンポポの種の保存にとって脅威となり、種でしか増えない在来種の保護と育成は焦眉の急となっているからです。小学生にも区別できますから、このあたりを考えて行わないと、ただでさえやっかいなセイヨウタンポポをややもすると人為的に増やすだけでなく、現実的には放置される割合が高くなり、放射性セシウム(137Cs)を却ってばらまくことにもなってしまうからです。放射線量データ ― 2011年03月25日 20時41分26秒
あと、ここ数日のベクレル単位での放射能のデータですが、これからはまた別の言い方や話にもつながりますので、さらに考察と落ち着いた解析が求められると思います。
あり得ない ― 2010年11月30日 20時35分30秒
何も他者に対して、また外部に向かって話すこともなす事もないのに関係や作用は生じません。ですから、他人から一方的に『もうxxx』とかいって、何かが否定されたり壊されてしまうことなどあり得ません。その言動以前に何一つありはしなかったのですから。もちろん、そのことばの発声時点でも何も起こりませんし、未来においても起こりえません。無から有は生じないからです。すぐに『もう。。。』とか言って何も手出しのできない人に対して抑圧的で暴力的な剥奪をしたり示唆したりするのは言うまでもなく、脅迫や強要であり、それは明白な犯罪行為です。
事象の発生と連続して起こる一連の出来事にこそ意味があり、それが現実の社会を形成します。順序を取り違えては何もなしえないのです。人の意図や恣意的な誘導、作為によって作られることがらは人間社会として排除していかなければならないのです。ポジティブに意思をもって進める自由で開放的な展開こそ必要です。道理と帰結 ― 2010年11月28日 20時27分11秒
でも気象変化も気候変動もその原因により結果を生じています。その理由は合理的に説明がつくものです。そして、人の行為や言動もまた、道理に基づけばすべて理解され得ます。しかるに、そうでない場合は私たちは決して受容できませんし、してはなりません。また、そこには推移や展開に順序と必然が存在します。なければ、それは認容できません。これは以前にも記事にしました。実際問題として、あり得なかったことに起因する現在はありませんし、これからは決して生じません。これは自然の摂理です。
ですから、どこにも、『もう』も『むだ』もあり得ないのです。それを有るはずのない場所からいくら言おうとも、それはまさに『むだ』なのです。それをその者たち自身が気づき、過去にさかのぼって改めない限り、今日も明日もありません。彼らには。現の証拠 ― 2009年10月16日 21時17分25秒
ものごとの確かさ、効き目の確かさ、見通す目の確かさ、そういったことどもの象徴として、まさにそれらにかかる現の証拠があるとこの花は語っています。確かなイメージ以上の証左を示すべきものごとについて私たちはなおためらいや不安を感じることがあります。でも、この花は長い間明白な花を咲かせ続けることによってその確かな自然の姿を明らかにしてくれているのです。
曖昧な言葉ではなく、明確な論理と物理的な証明があってこその社会であり、人間の存在の確かさを確実にならしめるところなのです。信頼はその現実の存在と道理に基づく筋の通った姿形によってのみ、得られるものだと教えてくれているのです。サプリメントの恐怖 ― 2009年10月08日 20時26分09秒
かくいうわたくしめもいくつも摂取しています(服用とは言わない、薬では一応違うので)。そのひとつが写真ですが、ビタミン剤を直接飲むよりより自然に近い形態での摂取ができるのではないか、と思うところで購入しましたが、バランスの取れた食事をしていれば問題なく摂取できるはずという大まかな認識のもとでもこれを摂ればなお、いえ、不十分な食事をまさに、補える(サプリメント)と信じ込んでしまいます。
以前、同じ会社から出ているバレリアンというハーブだったかからできている睡眠剤をのんでえらい目にあったこともあり、その選択や摂取量・頻度には慎重にはなっています。でも、個々の成分を精査したわけでもなく、ましてや取り合わせ・組合わせなどをすべてにわたってしらべるのも困難です。できるなら、摂らない、摂っても少量にする、食事でできるならなるべくそうする、そういった注意が肝要でしょう。つい、手軽さに負けそうになるのですが。夏のゴミの名残り ― 2007年10月11日 21時03分42秒
その典型として、夏の海水浴や行楽の終りに出される、あるいは集められるごみをみることができます。写真はその海岸のすぐそばの集積場所に残っている(そう、まだ夏のゴミが)様子です。折りたたみ式のキャンピングテーブルさえあります。これらもまた、分別して町の収集車に取りに来てもらうのですが、その巡回場所まで持って行って小分けする手間暇が取れないのでしょう。誰がするのかもまた、問題です。
旅の恥も夏のゴミもかき捨て、吐き捨ての時代です。いつまで経っても反省はもちろん、ゴミを出している行為の認識さえ、拒否されています。根本的に解決するためにどう、教育しようとも、やはり、夏の思い出と共に忘れられてしまいます。永遠にできない相談なのかもしれません。なれば、ゴミそのものがでないような、飲食物はもとより、用品もまた、持ち込み禁止を徹底すべきかもしれません。容器の類はすべて再生可能な製品に限定するのです。もっと、深刻に、かつ、突き詰めて考えるべきときです。ジャンクフード天国日本と花粉症 ― 2006年11月17日 21時10分16秒
東京都の無知と無思考からくる愚策、というより蛮行であるスギの大量伐採計画を取り上げましたが、いわゆる「花粉症」もまた、現代の社会的な病の一つでもあるのです。体質というより、身体の内部の形成にさえかかわってくるのはその食物摂取に起因します。『食品の裏側―みんな大好きな食品添加物』で有名な安部司氏もその恐ろしさと騙す手口をおもしろおかしく述べていましたが、テレビを中心とした媒体(マスメディア)を通じた飽きさせない一方でしつこい宣伝と販売展開は慣れを生んでいるところにその隠れた恐ろしさがあります。そういった本来摂取すべきでない物質を飽きることなく、ためらうことなく、そしてほとんど無意識のうちに取り込んできた私たちにこそ、「花粉症」を発症させる引き金があるのです。
著名なカップ麺はもちろん(これなど添加物や怪しげな物質の固まり)、世界展開しているマクドナルドやケンタッキー、ミスタードーナツなど、あふれるこの種のジャンクフードはなくすべくマスメディアは報道・宣伝すべきでしょう。なによりその危険性、生体での蓄積や障害の発現の可能性などをもっとはっきりと述べるべきです。とりわけその見えない症状として、神経・精神に与える影響や結果はビデオゲームより深刻であるはずで、かかりやすい、うけやすい傾向にある人たちやその子供たちに反社会的行動として現出させているとしか思えません。イギリスに遅れたと言わずに、日本もせめて宣伝規制を今からでもすべきです。その方があほな東京都知事よりよほど「花粉症」の抑制・治癒に有効なはずです。
無人ヘリによる空中散布 ― 2006年08月09日 21時34分14秒
好むと好まざるにかかわらず、また望むと望まざるにかかわらず、散布それ自体、近隣の田にかかりますし、ましてや空中散布ではなおさらです。わかっていてやるから始末に悪いのです。そして、ちょっとでも文句を言おうものなら、食ってかかられるのは言った方で、何もわからないくせに、とか言うくらいならまだましで、もっと酷いことにさえなりかねません。
遺伝子組み換え作物の栽培もそうですが、周辺に影響なし、ということはあり得ない以上、そして、それら自体、危険で問題の多い作物となることは明白な以上、即刻中止して考え直すべきでしょう。手間暇のかからない、別の方法があります。なにより、そうして自らの命を縮めたり危険にさらされることこそ、止めるべき最大の理由ですから(わかりきったことなのに)。ポリ乳酸(PLA)は救いになるか ― 2006年07月26日 21時36分56秒
同じ「代替品」の考え方で対照的なのは発電でしょう。化石燃料による火力発電の代わりとして、あるいは頭打ちで障害も多い(のか?)水力発電などを「凌ぐ」として、逆に環境負荷がかえって大きく、その上危険性は遙かに高い原子力発電を国策として進める現状を見るときどうしても、じゃあ、代わりを探せばいい、という「安易な」思考や方向には疑いを抱かざるを得ないのです。
やはり、好ましく、望ましく、求めるべきなのは、プラスチックを減らす・使わない、といった方向です。いずれなくして、まったく異なった形態を求めることこそ本来の方向だと考えるからです。もともと、昔から、そういった「便利な」プラスチック類は使っていなかったのです。生活手段も形態も、産業形態も根本から変革すべきときに来ているのです。海岸近くに群生していた、もともとは園芸品種・栽培品種のオニユリを見つけたことに似ていて、奇異な感覚にとらわれるところです。





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