触れ合いと対話こそ2011年10月19日 08時01分58秒

コスモスの園
人と人との関係において必要で決定的なのはその間に直に触れ合い直接ことばを交わすことです。それでもしばしば齟齬や行き違い、誤解や思い違いはついて回ります。なおそれでも、対話を重ね、ふれあう機会を増やすことでその相違や差異、偏見や決めつけがなくなっていくの です。もちろん、犯罪行為や悪意だけの一方的な関係や暴力や力の歴然とした差のある二者は全く別ですが。ですから、たとえば、よく引き合いに出されるように、無関係の他者が離れたところで何を言おうともそこに意味も理由も存在しません。そこには誰に対することばや音なのか、という情報が欠如しているからです。

私たちが理解するのはその論理的な筋道においてであり、合理的な順序と理由の提示によっています。どこかで誰かが何かを言っていたとしても、言うまでもなく、不明瞭な上に、意味は不明であり、そもそもことばとして認識され得ない音声や音であることがほとんどです。誰かの 短い救助や援助の求めの音声以外は認知すら不能です。ただ、それがもし繰り返されたり頻繁にあるとすれば極めて不快であり、迷惑なだけでなく周囲や近くの人には障害の原因となるのです。時として暴発する危険性すら孕んでいます。

信頼される社会とその中の存在としてのひとりひとりの人間の間に一方的な、しかも無抵抗の誰かに対する排他的で暴力的な攻撃があってはなりません。反対にそういった行為に及ぶ者こそ、社会から排除されなければならないのです。よりよくするために、温かな関係を築いてい くためにまず、どのような形であれ、暴力は徹底的に除かなければなりません。住んでいる町でも、役場の横に『暴力追放宣言の町』という大きな看板があるのです。それは単に、腕力などにとどまらないのです。