プライバシーと人権 ― 2011年10月11日 15時21分22秒
山の端を歩いていると静けさや一方での細やかにさんざめく自然の営みを知ることができます。草や木々の揺れる午後、わずかに射す陽光に生きる姿を映し出すように生き物たちの動きを感じ取るのです。そして、そこにこそ、私たち人間もまた、その静けさやひとりひとりの独立した生活を見いだすのはきわめて自然な感覚なのです。
しかるに、あまりに、そこから離れた町中でのあけすけな興味関心を自己中心的なものの見方において向けてくる悲しい姿を直に感じるとき、私たちはそれをなんとかして排除しなければならないのだ、となお自覚するべきなのです。そこには恣意的なものごとの正当化、つまり犯罪行為の広がりを見るからです。私的生活は最大限尊重されなければなりません。ましてや、直接的な接触や対話の存在しないところであってはならない行為こそ、意識的に取り上げ、なくしていく行動を起こさなければなりません。
人権とはいうまでもなく、血を流して獲得された、基本的人権であり、これは万国共通であり、普遍的な不可侵の権利なのです。互いを認め合い、尊重し合い、高めなければなりません。理解しない、しようとしないものたちは、アラブの春の例を引き出すまでもなく、いずれ、遅かれ早かれ、私たちの社会から排除されるのです。これもまた、人類普遍の原理なのです。その基礎は一人一人の尊重にあるわけで、そのプライバシー(私的生活の自由)はこれをまた不可侵の権利と認め合うことで成り立つのです。ましてや、勝手な吹聴や伝聞は名誉毀損であり、人格の否定でもあるのです。決して許されることではありません。
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