示すものは何も無い2011年02月17日 21時33分53秒

草原の頂
私たちは顔を合わせて話をします。そして、そんな対話と事実に基づいてのみ物事を考え、判断するのが基本です。これはそのほかの場合の声、つまり離れたところからの会話や音声などには基本的に耳を傾けることはない、ということを意味します。実際、注意を向けない限り現実問題として聞こえることはほとんどありませんし、たまに耳に入ったとしても意味を成すことばであるこはまれなのです。そうでなければそれは空耳でしかなく、またそれゆえに気にとめることなどできません。

また、何も聞かれない、尋ねられない、そして何も言わないことは何の意味もありません。何一つ特定されうることはないのです。直接の話以外に私たちが理解することなどあり得ないのです。なぜなら、前段に述べたように、そこには何ら具体的な事象や事物をとらえられないからです。ですから、そこに注意を向けることなどないのです。知りうるのはその曖昧な存在でしかありません。

示し合わせたり共謀したり、一緒になって同じ行動や言動をしたりするところにそういった意味のある傾聴すべきなにものもありませんし、またそういう行為は決して受け容れられません。ひとたびそのような行動にでたとき、そこには正当性はおろか、認めるべき意味も理由もなくなります。知らなければならないのはその当事者の愚かさであり、幼さであり、その利己的な目的の醜さに他なりません。もしそれが理解できないとしたら人間として最低でしょう。鏡を見たとき、その歪んだ姿に慄然とするはずです。もしまた、そうでないとしたら、不幸ではすみません。ましてや、それが他者、とりわけ絶対少数に向けられたとしたらこれは決して認められない蹂躙であり否定です。