欺瞞と誤謬2010年12月05日 10時56分48秒

二重の虹
正しいのだ、とかそれが支配的である、と強いられてくるある種の状況や強圧的な環境の中で保ち得ない自分自身を見いだしているとき、しばしば自己欺瞞に陥り、誤った言説や風聞に耳を傾けてしまう人たちがいます。そしてその力を及ぼすとき有るべき姿や立ち位置を自ら放棄してしまうことになる大きな危険性を孕んでいます。不幸では済まされない極めて危機的な状況です。そこで失ってはならないものを見いださなければなりません。

戦後、和辻哲郎は『倫理学』下巻で修正をなし、その実を自ら失ったためにその彼に有るべき信を喪失しました。しかるに、私においてはその変化と抑圧と蹂躙にあってもなお、真の実を失することなく保持し決してその意味で信を失う理由はありません。自ら欺瞞に陥り、その裏切りを他方に転嫁して完遂させたところに基本的な誤謬をみるのです。それをそのまま受容することも認容することも私たちはしてはなりませんし、また、現実にできません。

必ず生起する障害や障壁にたいしてどのような態度で臨むのかはその人自身のある種の信念によって為されうるところがあります。もし誰かがそれを持ち得ないままいたずらに別の方向に目を向けあるいは背け、その信たるに値するところを見失ってしまったとしたら、そこにはその人自身の不幸と闇が訪れるのみになってしまいます。どこに存在するのか、何が真の実なのかを求めてゆく、その姿勢が問われます。

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