自由で幸福な存在2010年12月23日 04時23分15秒

光の妙
何度も記事において触れましたが、何もないのに、ただの一度も実態が無いのに、突然、『もう...ない』などと言われる理由はありません。なにより、私たちは実際に接触し、ことばを交わしたとえばなにがしかの約束や契約を取り交わして初めて何かが一度、生ずるのです。その上でそれを検証し、何らかの評価を行うのです。ましてや、他者により勝手に一方的に何かが否定されたり奪われたりあずかり知らぬところで全く無関係に決められたりする理由はありませんし、そういったことになんら責任はないのです。その反対に、誰かがそういった行為や言動を行うと言うことは明白な犯罪行為であり、言うまでもなく、人権の否定に他なりません。たとえ、天皇陛下であってもそんな権利はありません。

私たちは基本的に自由です。どのような選択をしようと、何を自分自身で決定しようとも無関係のまったく接触もない、つまり『居ない人』からとやかく言われる筋合いはありません。ましてや、その自己決定により無関係の第三者から何かを奪われる理由などあり得ません。最初に必要なのは存在そのものであり、そこに存在しないものや人により何かを生じさせることなど社会的にそして現実にも認められませんし、許されません。もちろん、そんなことはあり得ません。

私たちはいかなる奴隷的拘束も受けません。脅迫・強要は犯罪です。暴力・暴力的言動により脅かされたり生活や精神的自由が妨げられたりする環境はこの現代日本において許されません。そんな行為に走る者たちにこの社会に生きる権利はありません。あたりまえのことです。互いを尊重し、その幸福追求を互いに助け合い、支え合って分かち合う社会なのです。決して、理想郷の話ではありません。日本国憲法を持ち出すまでもなく、私たちが連帯して求める現実の社会なのです。