好天の湖畔2010年11月03日 18時47分51秒

ノドグロツグミか
雲は多めで射し曇りしがちでしたが、青空も広がり、北風ながらもいい天気でした。それで、午後は湖に出かけました。カモ類がとにかく多い。最初は数えていましたが、そのうち数えられなくなってしまい、後は写真まかせ。種類も少なくとも6種類はいたでしょうか。遠いのではっきりとは識別できず、実際にはもっと多かったと思われます。

そして、湖畔の鳥がいつもこの地域は特徴的です。単独でいるところを見つけることがままあり、そういった環境なのだ、と得心がいくのです。普段は静かで、まあ、鳥獣保護区に指定されていて猟銃使用禁止の地域ですが、国定公園ながら以外に落ち着いていて、訪れる人たちは湖にばかり関心がいきがちです。周囲の急峻な斜面や引っ込んだ湾口などに意外に珍しい鳥たちがやってきて羽を休めるのです。それで、今日の野鳥は写真のノドグロツグミらしき一羽です。

前にも記事にしましたが、やはり、虚心でそのままの姿勢こそ出会いの機会を与えてくれるのです。変に、見つけてやろう、とか、ましてや自慢するために、などといった欲望をもってはなりません。ただ歩き、ただ自然の中に身を置いてその環境に自身を同一視するかのように溶け込む、そんな気持ちでいることが偶然とはいえ思いがけない出会いをもたらすのだと信じます。まあ、美しい人に出会えれば何よりなんですが。

* 写真の鳥はクロツグミだそうです。

尖閣ビデオ流出と民主党2010年11月06日 20時54分55秒

土曜の昼下がりの遊覧船
今日は朝から好天そのもので昼間は20℃近くまで気温も上昇、歩いて汗をかきました。それにしても、この陽気にもかかわらず、湖には人がいません。釣り人が数えるほど、遊覧船にもそんなに人は乗っておらず、寂しい限りです。一方で、静かな湖面にはカモ類が合わせると数百羽、いえ、数えられない対岸近くを合わせると一千羽ほどもいたでしょうか。五つの湖全体ではかなりの数になったでしょう。すれ違ったのはサイクリングの人ひとりと車数台でした。

それにしても民主党は政権党の体を成していません。今日も国土交通大臣は八ッ場ダム中止を撤回するつもりの発言です。これで幾たび公約・マニフェストを反故にしたでしょうか。そして今回の尖閣諸島中国漁船衝突事件の撮影ビデオの流出です。いえ、流出自体は自民党であったとしても、またほかの政党が政権にあったとしてもあったでしょうけど、その後の対応がなっていません。一貫性の無さと毅然として方向性を示し明確なことばで実行していく、そんな姿勢や態度がありません。とりわけ、菅首相の発言や会見の言い方を聞いているとこちらがイライラしてきます。どこか、他への気配りとはいえない寄りかかりの姿勢ばかりです。信頼を置けません。

流出したビデオの内容は待っていた映像でしたし、例によって中国は進路妨害だとか事実をねじ曲げて、一目瞭然の「証拠」を手前勝手に使っていますが、改めて中国漁船の横暴といいかがりの元が見られてその意味ではよかったと思います。海上保安部の人の仕業ではないようですし、誰がどうやって入手して投稿したのかなどどうでもいいように思えてきます。今朝の朝ズバッ!で海上保安部の元職員との質疑応答でいっていたように、命がけで国際法に則ってやっている海保の人たちのいらだちや歯がゆさ、やむにやまれぬ気持ちなどを察するにつけ、民主党や船長釈放を決めたとされる地検あるいは検察庁の情けなさとふがいなさばかりが目についてやりきれません。昨年の8月31日に戻って、初心に返ってやり直していただきたいのです、民主党さん。

衰退の原因2010年11月07日 21時02分58秒

マガモ
今日も晴れて暖かい一日でした。湖も静かで、小さな湖の方に足を運びました。周回する道はないのですが、コンクリート護岸でやはりご多分に漏れず汚れています。それでもカモ類は多くやってきていて、少なくとも300羽はいたと思います。遠くで数えられないのを合わせるともっといたでしょう。これからますます賑やかになる季節です。

それにしても、です。社会の機能的衰退が目立ちます。報道でも注目されている人と人との結びつきもそうですが、それ以上に個々人の意識や思考、存在と社会環境に関わる認識の低下が顕著だといえます。明治以来目指してきた欧米の民主的な社会の確立に向けた人々の気概や精神的な存立の基盤を失いかけています。それと同時にかつて充ち満ちていた日本社会特有の、本当の田舎で見られたはずの心の豊かさや温かさ、相互扶助の見えない約束事、不文律としての社会的な規律と規範、そういった私たちを私たちならしめてきたところの、日本的なアイデンティティに関係した細やかなバックボーンが崩れて、見えなくなってきてそしてなくなりつつあるようなのです。

失わせたのは功利主義でしょうか。過度の競争意識でしょうか。学歴出世至上主義でしょうか。いえ、二種類の半進歩的な振る舞いです。一つは企業の活動の著しい利己主義、社会を顧みない自己正当化です。そしてもう一つはどこか変なものたちの利益やエゴ、欲望や彼ら自身の歪みの押しつけ的正当化と推進です。それが社会にゆがみやねじれ、曲がったものがそこのけそこのけでまかり通ってしまうおぞましい醜さの表面化です。日本の良さとしてあった本来の優しさや互いを思いやる心からの気持ち、確固とした東洋的な道徳意識と倫理規範、その底辺からの浸透を断ち切り続けてきた輩の闊歩する変容をもたらした社会的な教育の衰退があるのです。自殺者の増加に歯止めがかからない重苦しく生き辛いやりきれない社会を何とかしなければなりません。

立冬を過ぎても2010年11月08日 21時09分11秒

アオジのオス
昨日は立冬でした。でもとても暖かく、汗をかくほどで、この冬は平年並みだとかいう気象情報はまた偽りだと思わせます。今日も朝から暖かく、俄雨のような降雨もすぐにきえてなくなった朝でした。近く、寒気が降りてくるという予報はあたるのでしょうか。それもまた一時的な「現象」となって終わるのでしょうか。

生き物たちはその気候に適応しかけているのでしょうか。最近は打って変わって増えつつあるように思われます。いつもの海岸裏ではカシラダカの群れがやってきましたし、写真のアオジも現れました。鴫の類も写真は撮れませんでしたが飛んできています。サギもコサギ、チュウサギを中心に数が増えています。けものたちも報道で喧しいように出没情報や実際に出現する(人目に付く)回数が増えています。まあ、これはしかし、人工的な環境の広範化と自然環境の分断化などにもよりますし。この地域ではまた新たな自動車道の建設工事で山の破壊が進んでいますから。

日本とその周辺もまだ冬の閉じこもりにはほど遠いようで、中国の傍若無人な横暴・振る舞いやロシアの泥足による踏みにじりの正当化、ビルマでの日本人取材陣の受難、などなど、事件はとどまることを知りません。そして、政府も民主党も検察も対処を知りません。とても雪の降る騒ぎではないのです。活発な生き物たちの活動はこの冬の気候を示唆しているように思えてなりません。善し悪しは(たぶん、「平年」でないのは好ましくはないのでしょうけど)別として、暖冬であってほしい、と密かに祈っています。私は雪も暗い冬も嫌いです。

悲劇やまず~桐生の少女自殺2010年11月09日 21時25分38秒

シロハラ
先日来報道も増えてきていますが、尖閣諸島中国漁船衝突事件のビデオ流出のあおりであまり注目されていないようです。これはこれで大変な事件であり、言うまでもなく、遺族と誰よりも亡くなった少女にとってまさに生死そのものでした。12歳でいじめを苦に自宅で自殺、どれほどの苦しみだったでしょうか。昨日になって初めて、学校の関係者が少女の自宅を訪れ謝罪したとか。ただ報道内容そのままの説明でいじめと自殺との「因果関係」を否定したということです。

北海道の小学生の女の子の教室での自殺事件、岐阜県瑞浪市での女子中学生の自殺事件などの顕著な事例にもかかわらず、身近な学校関係者も周囲の人たちも(子供も含めて)そして親さえも対応や予防・未然の解決に至らなかったのはまさに致命的でした。先年、あれほど多くのこどもの自殺が相次いで、侃々諤々の議論百出、政府も対策に乗り出していたのになお、その連鎖も発生も防ぐことはできていません。社会的な取り組みは各所で多くの心ある人たちを中心に行われながらも何も実効をあげていない現実を私たちは直視する必要があります。年間自殺者3万人超、連続10年の日本社会のもっとも深刻な側面です。

こどもがいじめられて死を選ばざるを得ない、そんな救いようのない社会を変えようとしないで子供を産めよ増やせよ、といっても無理でしょう。北海道の事例と同じパターンなのです。始めはいじめはなかった、次第に知られたことがらを中心に渋々認める、でも責任回避のためにあり得ない「因果関係」はない、との主張。経験のあるはずの教師が無策であったとしかいえない事実、この経験とは実際には役立たずの時間でしかなかったということです。29人をうまくまとめ上げても一人が死に追いやられたとしたらその教育は取り返しの付かない失敗です。一人を救うことができなければ誰も救うことなどできないのです。そして、そんな周囲のこどもたちを育て、加害行為の意味も結果も理解できない人々の為した社会は暗澹たる明日を如実に映し出しています。命の無言の叫びと訴えをも聞くことのできない、こんな社会に未来はあるでしょうか。

何の意味もなさない2010年11月10日 22時46分22秒

消防宣伝ヘリ
秋の火災予防運動実施中~とかを流しながら県の消防のヘリコプターが飛んでいました。だれもそんな拡声器の音や声など耳を傾けてはいません。それをこのヘリを飛ばしている人たち自身、よくわかっていたはずです。なのに、どうして高い燃料を使ってこんな無意味なことをするのでしょうか。街頭宣伝車とも共通します。誰もそんな音声をそばだてて聞いている人などいないはずです。

私たちは目的を持って集まって誰かが前に立ち話す、そのときには耳を賛否は別として傾けて聞くことになります。また、個人個人ならば、直接面と向かって話す場合のみ、そのことばはそれなりに意味を持ちます。必要条件は、互いにその存在を直に認識し、目の前に在ることです。そうでなければそもそもことばではありません。いうまでもなく、仮に聞こえたとしてもそれは物音と同じであり、理解されるのは何の音か、ということだけです。

昔から言います。見ることは信じること、ですから、相対すること、話をすること、そして互いに理解し合えることです。それ以外に意思の疎通も伝達も認知さえも生じません。人と人とが理解し合うためには、面と向かって共通したことばを使い話し合うことです。まず何よりも会うこと、ことばを交わすことです。そこからしか始まりはありえません。当たり前すぎるくらい当たり前のことです。また、それゆえに、選挙の連呼や道路上での一方的な街頭演説はやめるべきです。日時と場所を決めて定期的に演説や議論の場を設け、個別の伝達と訴えの機会を与えてその行為を監視すべきです。

人に左右されないで2010年11月11日 21時53分26秒

カシラダカ
困ったことに、思いも掛けないほど他人のちょっとした言動に左右されて自分の態度やことばを決めてしまう人がいます。そしてそれも老若男女にかかわりません。誰かが何かをちょっと言ったり示唆したりするとすぐにそれに同調したり、同じように行動・言動に走ってしまう、そんな根無し草のような人がままいるのです。いえ、かなり多いといえるかもしれません。また、すぐに確かめもせず、いえ、そもそも安易に他人の言うことを信用してしまうのです。

科学や論理、あるいは倫理において必要で不可欠なのはその人自身の思考と呈示です。また、なくてはならないのはその人自身による事物・事象の客観的な観察とそれに基づく事実の積み重ねです。それが無ければ何も見えてきません。ましてや、そんな「雰囲気」があるからとか、誰かがそういったから自分の言動・行為の選択肢としてそれも加えるとかいった根本的に誤った思考に陥りがちな人たちが多く存在しているのも悲しいかな、現実なのです。

どのような形にせよ、作られた偏見や先入観、バイアスのかかった思考や構成に惑わされて本来為すべき論理的で道理に適った推論や主張ができなくなってしまったことに気づかないまま自らの行動を決定づけている人たちは他者の存在や尊厳をないがしろにしてしまってもなおその行為を顧みたり正したりすることに思い至らないのです。言うまでもなく、誤った認識と自身さえ認知できない道に踏み込んでいて抜け出ることができなくなっているのです。出発点から誤りであることを自覚できないというのは致命的な誤りです。

登山の一日2010年11月13日 21時13分48秒

今回のパーティー
きょうはある山の会の山行で町の最高地点に登りました。きょうも朝から薄く黄砂がかかっていて晴れてはいましたがすっきりとはいかず、その点は残念でしたが、風もなく、途中の紅葉の美しさの中を上り下りして楽しい一日を過ごせました。パーティーに入っての久々の登山で、やはり人がいるというのは楽しいもの、安心できるものと再確認できた歩みです。

登山口からすぐに下って徒渉、それを3回ほど繰り返して、いよいよ登りです。急斜面をジグザグに登って尾根に出て、それからは快適な登りでした。何より、ブナの森の色づいた木々の美しさは秋の姿そのものでとても気持ちのよいものです。キノコ狩りをしながらのゆっくりした登りで県境の稜線にでるとそこは大展望、黄砂であまり遠くは見えませんでしたが、すがすがしい景色と平坦な道で山頂に着いたのは昼前でした。じっとしていると冷えましたが見晴らしに満足の山稜でした。

疲れたのは下りです。とにかく、急で、他の人の話ではここを登ったとのこと、尾根の広さと落ち葉で消えた道筋を追うのは大変です。下ではさらにまた徒渉の箇所が数カ所、林道に降りると夢から覚めたような気分でした。また楽しい時間を過ごせれば、と願いながら。

認知症2010年11月16日 21時49分58秒

シロハラ増えた
今朝は冷え込んで7℃少し、寒かったんですが、イタチは白い冬毛に生え替わっていて、歩いている私の前に出てきました。しばらく(数分)おとなしく見つめ合っていたのですが、カメラを出して写そうとした瞬間、道の脇の草むらに引っ込んでしまいました。いつもそうです。なかなか写真におさめることができません。

ことばを理解しない者たちがいます。日本人らしく振る舞っていますが、発する音声は日本語になっていません。時折聞き取れるそれは不完全な単語であったりしますが、意味するところが不明です。他者の言や書き言葉などはさらに悲惨です。その意味は全く違っていて、どうも自分たちの種族内でしか通じない音声に置き換わり、理解不能なことを指し示しているようなのです。そして、なお酷いことに、自分たちの行為や言動をまったく認知できないらしいのです。とにかく、矛盾した行動や発声、到底通常では認識できない思考に信仰をもっているようです。

私たち日本人は基本的に筋道だった道理を信じ、人の気持ちを思いやり、情けは人のためならず、と何かにつけて世話を焼いたり手助けしたりします。それが古くから醸成されてきた人々の社会的な道なのです。でもそれとは異なる者たちがいるとしたら、それはアフリカ的な悲劇です。その中で閉じているのなら、他人に迷惑を掛けたりすることはありませんからかまわないのですが、時として一方的に訳のわからない変な所業に至ったりするのですから困りものです。

LOH症候群2010年11月17日 21時43分06秒

県境遠望
元気が出ない、力が湧かない、頑張れない、、、そんな症状がいくつも重なり、からだの調子も変になる。それはうつ病ではない、LOH症候群だとのNHK、ためしてガッテン、の話はまさに私にも当てはまるところがあったのです。なんかやる気が起きない、そういう気持ちに深く悩むとき、誰かの救いが在れば、と思います。その主たる原因のストレスとともに、辛さはそこにあるのです。

特効薬はテストステロン。このホルモンの注射によって劇的に改善するとか。でももっとよくわかったのは後半やっていた体操の内容です。運動とともに、気持ちを高める、具体的には男性なら女性、女性なら男性、というところです。通勤途中にあるかつての同僚からも言われましたが、恋をすることこそもうひとつの、でも注射と同じ効果のある特効薬だというのはまさに合点のいくところです。

日頃難しい環境にあるわけですが、なんとかして職場における下位の立場をより居心地の良いものにして、なんとかして女性と親しく交わりたいと切実な思いを抱いてしまいます。これからを生き抜くために、それこその、まさに人として必然的な獲得を目指さなければなりません。