人に左右されないで2010年11月11日 21時53分26秒

カシラダカ
困ったことに、思いも掛けないほど他人のちょっとした言動に左右されて自分の態度やことばを決めてしまう人がいます。そしてそれも老若男女にかかわりません。誰かが何かをちょっと言ったり示唆したりするとすぐにそれに同調したり、同じように行動・言動に走ってしまう、そんな根無し草のような人がままいるのです。いえ、かなり多いといえるかもしれません。また、すぐに確かめもせず、いえ、そもそも安易に他人の言うことを信用してしまうのです。

科学や論理、あるいは倫理において必要で不可欠なのはその人自身の思考と呈示です。また、なくてはならないのはその人自身による事物・事象の客観的な観察とそれに基づく事実の積み重ねです。それが無ければ何も見えてきません。ましてや、そんな「雰囲気」があるからとか、誰かがそういったから自分の言動・行為の選択肢としてそれも加えるとかいった根本的に誤った思考に陥りがちな人たちが多く存在しているのも悲しいかな、現実なのです。

どのような形にせよ、作られた偏見や先入観、バイアスのかかった思考や構成に惑わされて本来為すべき論理的で道理に適った推論や主張ができなくなってしまったことに気づかないまま自らの行動を決定づけている人たちは他者の存在や尊厳をないがしろにしてしまってもなおその行為を顧みたり正したりすることに思い至らないのです。言うまでもなく、誤った認識と自身さえ認知できない道に踏み込んでいて抜け出ることができなくなっているのです。出発点から誤りであることを自覚できないというのは致命的な誤りです。

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