「集団ヒステリー」発言2011年06月17日 16時29分22秒

ノビルの花
イタリアの原発国民投票の結果を受けた、自民党の石原伸晃幹事長の発言はそれこそヒステリックな、いえ、確信犯的な反動の主張と同じくするところです。誰もが、『もう原発はいらない、ごめんだ』という気持ちになったのは決して単純で感情的な反発や情緒的な反応ではありません。イタリアの人たちだけでなく、わが国内の人々もまた同様に、福島第一原子力発電所事故を目の当たりにして抱いたのは同じ思いだったのです。ドイツでも言われていた、「複雑な問題」として原子力政策をとらえるのは基本的に誤りでしょう。むしろ反対に、その方法や事故の現実を直視すれば明白な意味を知ることは容易です。その意味においても、石原幹事長の発言に適切な部分を見いだすのは困難です。

すぐに、社民党の福島党首が批判をしましたが、もっと、他の政治家たちもその発言はもとより、その理由や出づる源から石原氏のような発想・思考に対して厳しくあたるべきだったのです。一日待ちましたがもう忘れられたかのように静かです。今もたもたしている政府もまた、もっとその行動や判断の貧しさと誤りに自ら顧みて石原氏の発言の真因について猛省すべきなのです。政治家たる者、そんな姿勢や態度でどうして国を、社会を導いていけるでしょうか。あの小泉純一郎元首相ですら、原発を推進したのは誤りだった、と認めているのです。こんどの菅首相おろしもまた、おなじ文脈からなされた、との報道もまさにそのとおりだ、とうなずける石原氏の発言なわけです。

福島から遠く離れていて直接影響は受けてはいませんが、こちらもまた、多くの原発を抱えていずれは福島と同様の憂き目に遭う、と想像されるこの地域に住む以上、無関心など考えられませんし、福島の地はおそらくは二度と帰ることのできない土地と成り果てるのは目に見えている以上、イタリアの人々の是非に関する正しい認識をそれこそ福島の住民や元住民と同様に永田町の人たちにも持ってもらいたいと願うのです。いえ、同じ思いを抱くことこそ、この事故の収束へ向けての方策に真剣味が増すと考えます。黙っていてもどんどん放射性物質が産生し時として放散して周辺環境をどうしようもないものにしてしまう、そんな時に、そしてそんなものになぜいつまでも執着するのでしょうか。石原幹事長には五感がないのでしょうか。彼にこそ、『現実を直視しなさい!』と叱ってやりたい気分です。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「山路を登りながら、こう考えた。」で始まる小説の作者は誰か。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://midori.asablo.jp/blog/2011/06/17/5917316/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。