交通安全2006年04月15日 21時25分00秒

警察が「交通安全講習」や「交通安全運動」にやっきになっているのがひどくおかしくまたいやらしさを感じます。とくに、お年寄りや子供を標的にしているのがあくどいのです。いうまでもなく、そういった「講習」や「運動」で事故や交通障害が減ることも増えることもまたありません。事故や障害の主因は道路の増加と自動車、自動二輪車の絶対量の増加にあり、歩行者や自転車の利用者はさほど増えていないばかりか、全体的にはかなり減っています。 そう、言うまでもなく、事故と「運動」や「講習」との間には、何の相関関係もありません。それらがまた、運転者や歩行者などの道行きに効果があったなどという証明は不可能です。そんなことに税金を投じるなど、ましてや、本来の役割でない警察官の仕事にするなど、笑止千万、あまりに愚かです。

運転免許の更新に行くと必ず、「交通安全協会」なる中間介在者の存在にこのときだけ行き当たります。でも、これも言うまでもなく、強制的な加入、つまり、支払い義務などありません。当たり前のことですが、警察が背後にいるために、多くの人たちがお金をだまし取られます。これはテレビでも取り上げられ、問題となり、窓口が別になった府県もありますが、たいてい、不当な利得の犠牲者と更新にきた人たちはなってしまうのです。もっと、声をあげるべきです。いえ、この「協会」そのものをなくすべきです。心底、怒りを覚えます。

緑と土の道を散策するとき、そういった煩わしさや疎ましさ、警察の醜さなどと無縁のすがすがしさと命そのものを感じます。ここにこそ、本当の道行きの 姿を実感するのです。なにより、眼前の存在をありのままに見つめ、その事実を直視できる環境がそこにはあります。知るべきは、その現実の生でしょう。おかしな警察やその関連団体やどうでもいい講習会や運動などに寄って依ってはいけません。無意味な、それでいて税金の無駄使いである彼らの手慰みを認めてはなりません。許してはなりません。

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