わたしはマララ2013年10月09日 20時03分49秒

"I am Malala" 発売。
マララ・ユスフザイさんの自伝の発売、ひとつの象徴としての彼女にわたし自身も賞賛や共感と連帯だけでなく、わたしの周囲の状況を重ね合わせて見ることになる現在に堪え難い思いを抱いています。現実に、周囲の連中の行為言動はタリバンの無法・非道・無知蒙昧と低劣さで共通項を見いだすのです。あまりに、愚かで知能さえ疑うほどに低いことばから出る非論理性と非合理にはうんざりします。その上に、命までうばうことに躊躇いもなく、およそ、社会の存立基盤であるはずの社会制度や共同体における規範認識とは全く接することのない低位の思考に際立った特徴を見いだします。

今朝、あわてて注文しましたら、日本のアマゾンで2000円以下で買えたことに後で気づきました。なんとも口惜しい。ただ、数週間待つより早く(7日間ほど)入手できるらしいのですが、どうなんでしょう。まあ、早く読んでみたい、という気持ちで600円の違いは(ハードカバー)よしとしましょうか。

日本でも、ことにこの地域ではそんなふざけた非道がまかり通るのです。非合理など、ごめんだ、とツイートしたら、前の勤務校の生徒がリツイートしてくれたのです。とても嬉しいときでした。日本人として、マララさんの戦いと彼女の身の安全のために、どんなことでも助力を惜しむまい、という思いからも、この民主々義で自由を尊重する社会に恥ずべき連中を放置しておいてはいけません。命を懸けて女子教育を訴え続ける彼女に顔向けのできない低位の連中はいっそどこかに放逐すべきかもしれません。前に記事にした、横浜の村田さんの純粋な勇気と思いを無意味にする社会に劣化させてはならないのです。