自己責任に非ず2011年11月17日 07時15分20秒

サワフタギの実
現実になされてきた侵害行為、蹂躙に対し、声を上げることもできない抵抗手段を持たない人たち(私も含めて)にとって、その状況や状態、不幸や不如意について責任を問われることなど、心外くらいではなく、あまりに理不尽であり、受け入れることなど到底、できないのです。犯罪行為や加害行為を行った者たちにこそ全責任があることは明々白々です。どうして、弱い人たちが何もしていないのに責任は自身にある、などと強者や加害者たちにいわれなければならないのでしょうか。

過去にも、たとえばイラクで人質になった3人に対して、自己責任をおしつけた事例がありましたが、同胞の困難に際し、ぐずぐずしたりあとでお金をだせ、などという政府や社会がどうして正当化されましょうか。困った人たちを救うことは何にもまして必要であり、命のかかったときにどうしてそんなことをいえたのでしょうか。人間として許されません。

生活上も、私生活の秘匿の権利、人との会話や相談を開披されない権利など、人権に関わることであまりにルーズでその意識を問われる事例が多いのです。でもそれらによって、つまり、そういった犯罪行為の結果をもとに被害者や困難者が酷い目に遭ったりなお人権を蹂躙されたりすることなど、決してあってはなりません。それは私たち自身を社会の中で守り、生きることに他ならないからです。

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