本当の法治とは―ひとつの事例2009年02月15日 18時07分21秒

早やハマダイコン咲く
法治国家として明治期に近代国家となった我が国ですが、いまだに、本当にその法による支配はなされていないとわかる事例は後を絶ちません。ひとつには企業による実定法の無視や歪曲、ひとつには憲法の形骸化、ひとつには一般社会における法を規定する哲学や法律・条例などの否定(単なる違法・不法行為の意味ではなく)、運用者の認知不足と理解不足と姿勢・態度の誤りなどがあります。でも昨日ニュースでみた事例はかなり胸を痛めるものでした。フィリピン人一家、カルデロンさんの子供、のり子さんだけなら日本に残ってよい、という法務省の決定です。

いまだに、この種の事例には理解がついていきません。過去にも、イラン、ビルマ(ミャンマー)、フィリピン、などなどいくつもの退去・一家分断の例があり、こういったニュースを見聞きするにつけ、どうしていつもこうなのか、疑問と悲嘆が交錯します。法律判断においてそうだという前に、この国の法令は人道に基づいた、例えば国際的な条約や宣言、広くあまねく認められている普遍的な「法」などに背いたり合致していない場合を感じさせるところがしばしばあるわけです。今回の事例もそのひとつだと思えるのです。真に上位にある法とは何でしょうか。真に規定されるべきは何でしょうか。もっと広く、高い位置から見つめるべきではないでしょうか。

翻って、私たち一般庶民としても、人間一般としてみても、せっかく日本という国あるいは社会を選んでくれてきてくれた、そして日本で子を育み成長してくれた、そんなありがたい、うれしい人たちをどうして追いやることに賛成できるでしょうか。のり子さんの、『日本人として、母国であり、生きていきたい』という言葉に法務省の役人は、法務大臣は何も感じないのでしょうか。そんな気持ちを持ってくれる人間、一家をこそ、誰よりも大切にする責務を私たちは負っていると信じます。

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