同じ主題の意味は2009年02月13日 18時01分08秒

所収の本の表紙
今度の芥川賞を受賞した津村記久子の前の小説2編を収めた本を読みました。筆致がどうだとか、筋がこうだとか、組み立てや構成がこれだとか、そういったことは別にして、読みやすく通して終えてしまう良さはあります。それだけの文章の連なりはとてもわかりやすいと思いました。

表紙の表題作ではなく、後の、『冷たい十字路』の方がおすすめです。これは内容の構成、主題ともに、貫井徳郎の『プリズム』と同様の方法を採用しています。ここで、主題というのは展開される内容に基づくそれではなく、この構成を採用して求めた、あるいは訴えたかったそれを指しています。他の作家にこれらと同じたぐいの小説などが存在するのかは私は不案内で知りませんが、この方法は確かに、社会の側面や一面を切り出していて有用だといえます。これからもこういった手法を試す作家が出てくるでしょう。

実際、現実の世の中、あるいは実社会で様々な人により、立場により、ものの見方以上に関わりと主張や「事実」さえ異なることはままあるのです。一般に、「真実は一つ」、と声高に叫んでみても、歴史の記述にみられるがごとく、本当の姿や事象そのものが誰によって観察され、記録され、記述されたかにより、伝わる「事実」は違って見えてきます。観察、もしくは観測、の方法、方向、視点、位置、深度によりその対象が変わってくる、いえ、変えられてしまうのは科学的な意味だけではないことを少なくとも二つの小説は教えてくれています。何を信じればよいのか、受け取ればよいのか、どういった修正や較正が要請されるのか、社会的な事象においても求められるのです。

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