非合理の恐ろしさ2012年09月22日 20時30分47秒

怖れ
写真はある分け入った道路の周囲にあったものです。一方はまさに、突然の出現やその抵抗・対処へのいい知れない不安をかき立てます。そして、もう一方はその非合理的な、まったくその意図や目的を一方的に強要し、見る人をして貶め否定するものです。お分かりでしょうか。この二つには私たちが決して受け容れてはならないもの、また、他者に対して決して為してはならないことを示しているのです。

心の準備や行動の用意のないときに、また、いつ何時か知り得ない、そしておそらくはあることがまず考えられないそのときに現れる何か、に対する深層に迫ります。遅い時間にしかも曇っていて見通しのしにくい場所では「熊」はしばしばでてくる、と言われています。そのときに備えるのは警戒心以外にないでしょう。まさに、非合理です。そしてそれは必ず、一方的で威圧的でしょう。あり得ないと感じさせる大きさをもって迫ってくるからですね。

また、その方向に合理的な理由も明白な(自明な)ことばもない一方的な命令に似た看板は混乱と理解しがたい非人間的な意図を感じさせます。この両者から私たちは、たとえばその非日常的な非論理性で突然の安眠妨害や私生活や行動に全くその存在を排するときの非人間的な動きや行為に対して生理的な抵抗を抱くのです。そうでない、という人がまさにそれらを行うのです。これはとても恐ろしいことです。集団による絶対少数への様々な暴力とおなじです。圧倒的なしかも抵抗手段や非対等な「声」もまたそうです。私たちはその意味で、誰かをそのように恐怖や否定の中においてはならないのです。