自由貿易と公平性 ― 2011年11月01日 10時32分04秒
TPP参加の適否はかまびすしくなってようやく議論も始まったか、とおもえるのですが、どうも、昨日も記事にしたように、充分な数値や必要な情報の欠如で考えるべき道筋を失いかねない状況のように思えます。実際、現実の「自由貿易」などあり得ませんし、どこかが得をし、どこかが収奪され、不均衡は南北問題と併せて考えるべきところです。そこでわかるように、公平なやりとりがなされているとはいえないからです。
アメリカの言う「自由」とは、自国の企業の優位性を元にしたなかば一方的な押しつけですし、公正さをもとにして輸出入を適正に維持し衡量する仕組みも体系も先に考えてはいません。また、本来なされるべき公平性の確立に向けた調整や均衡を図る基礎をないがしろにしようとしているだけに思えます。この日本でさえ、充分な競争あるいは比較の土台や基盤とすべきところに本質的な欠陥をかかえています。もとより、すべての国々や地域間に何もルールなき「自由」な貿易など存立し得ません。これはこれまでの歴史からも教えられることです。
今一度、「自由」な経済とはなにか、公平・公正な取り決めや仕組み・枠組みとはなにか、を考え直し、現状でのアメリカの言うTPPの本質的問題をあらわにすべきなのです。コメント
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