まず無くすこと2011年05月21日 18時41分52秒

八重のキンポウゲ
キンポウゲは野原や山に生えているのは一重の離弁花ですが、畑にはその八重の種がほおっておいても春から初夏に生えてきます。園芸品種だ、という人もかなりいて、本当のところはわかりません。実際、ヤマブキもまた、八重の変種が普通に野山で見られるからです。ええっと思う向きはおおいかもしれませんが、これもまた、運ばれていったり持ち込まれてしまった結果だともいえます。それなら、自然でないものは無くすべきか、これもまた、今では議論の元になるのです。

でも、卑怯者はなすくべきです。亡き者にできないのなら、無くすことです。三つの戒律、というものがあります。第一に、陰口をたたくな、第二に、卑怯なことはするな、第三に、人を欺く嘘はつくな、です。こども以上に、大人に対していわなければならないところが悲しいのです。先日も書いたように、弱いものいじめはその最たるものです。大勢で、抵抗できないようにしてからひどいことをしたり、それ以上に繰り返し言ったりする、精神的な虐待行為に理由も言い訳も通りません。許されないのは明々白々ですが、それを否定するどころか、正当化をして当然視する最低の連中が現実にいるのです。何一つ、成長も進歩もありません。

町の将来をどうしようか、といった議論の前に、大前提としてのその住民の意識や人格の問題があります。教育の失敗は後でどう取り繕おうとしても取り返しがつきませんし、そもそもその価値がないとさえ思える場合もあるのです。人の道に反する行為・言動に対してどう向き合うか、それは何なのか、自立とは何なのか、おとなになるとはどういうことか、そういった基本的な倫理以前の問いをやり直す必要をわたしたちは感じなければなりません。自分たちのさまざまな利益追求ばかり指向する情けない人たちにどう諭せばよいのか、何か、どこか、決定的に欠けています。人間であること、その根源的な問いかけさえ必要なのかもしれません。