命の値段~岩倉・少女自殺~2011年05月20日 17時49分37秒

植えられたナデシコ
愛知県岩倉市の自殺当時高校2年、16歳の少女に対する学校への賠償は約1500万円にとどまった判決でした。中学時代のいじめに対してわたしたちは社会的にこの家族に賠償をすべきです。学校に代表させて、もっと高額の賠償金を支払うことはせめてもの償いと思えるからです。確かに、直接的にはいじめに加担した周囲とそれに気づき対策・対処をすべきなのに怠った学校に責任があります。でも、そういった現実をいつまでも解決できないでいる一般の社会、そう、わたしたちにもまた、その社会的な責任があると思うのです。

少し思い起こせば、子供たちの自殺が相次いだ年がありました。そのときもまた、わたしたちは何もできず、その後もその連鎖や陰湿化、潜伏化に対してほとんど対応できていません。その本質的な理解と意識や思考、いえ、それ以前の人々の心の持ち様や道理・倫理といったものに対するあまりの鈍感さや子供たちを育てる意味を大人たちが十分理解していない、いえ、理解しなくなってきた社会の貧しさの広がりが根底にあるのです。

ひとりをよってたかっていじめる、そんな最低の行為に目をつむるか知らぬ顔、それどころか一緒になって陰から、背後から心ないことばを投げかけたりする行為に無感覚の人たちが増えているのです。どこかで、誰かがはっきりと声を上げて変えていく、そんな勇気が求められています。震災によってはっきりと多くの人たちが社会の変容に気づき、新たにしたい、といっています。そしてそれこそ、彼女が命をかけて訴えた社会の変革なのです。お金では償えない、命を救うにはまず、わたしたちが社会をこころあるものに変えなければなりません。