気持ち悪さ以上2011年05月19日 08時39分36秒

破壊の道具
今日の『おひさま』(NHK連続テレビ小説)を見てはっきりとわかったこと、それは今でも変わらず残る悪習や悪弊以上のなくさなければならない習性です。陽子先生(主役)が子供を守るために身を挺して叩かれ、気を失って目覚めた後のことです。はじめに、これもよく見受けられる光景ではあるのですが、叩いた「鍛錬担当」の男性代用教員が謝るところはいいのですがそのあとに陽子先生が下手に出て『わたしがわるいんです』と言った途端に手のひらを返したように開き直った態度を取るシーン、そしてどんどんその悪びれたところを自らかき消すように自己弁護の主張をエスカレートさせるわけです。

そして次の決定的な問題です。夏子先生が呼びに来て教室を除いて目の当たりにした光景です。うまく同じように振る舞えない、できない子に「皆で」教・え・て・させていく。それからまた一緒になって同じになるまで「習わせる」、というおぞましいシーンです。廊下から見ていた陽子先生は涙目で拍手をしましたが、これは少し考えればぞっとする光景なのです。時代が時代とはいえ、現代でもまた、こんな心的な行動や暗黙の同意が為されることを心ある人たちは経験してきていると思うのです。同じでなければ、同じように振る舞えなければ、同調していかねば、それが「和」のひとつだ、とかいった習い性以上のものです。

どちらも、もはやしてはならないこと、決して認容も受容もしてはならないことなのです。誰もが同じに「和気藹々」と振る舞う、それがいいのだ、といった一方でのナイーブさのそれでいて決して素直に心から受け容れられない吐き気のする気持ち悪さ以上の排除すべき心の働きなのです。そう、いうまでもなく、私たちはこういった時代のドラマを鏡として鑑み、そういった行為言動が生まれないように自らを律し、さらにはその本質的な人の道や道理、人間らしい本来の情緒を自覚しなければ成りません。ほんとうは、決してやってはならないこと、そして何より、その「同調」をしてはならないことを認識することです。そうでなければ何一つ、学ばなかったことになります。それでは、血を流して築いてきたはずの戦後も3月11日後の新生も消えてしまいます。