常に構える2011年01月09日 11時00分00秒

日常生活において私たちが何の束縛も監視もましてや強要されることなく、落ち着いて何よりも自由に過ごせるなら自ずと生きる活力や気持ちの強さを自ら見いだすことができるわけです。でもひとたびそうでない見えない恐怖や脅かされる抑圧的な声に縛られるとしたら、その生活は成り立ちません。常に誰かの陥穽にはまらないように、危険でおよそ人間とはかけ離れたいいようのない雰囲気の無い瞬間瞬間を求めなければならないとしたら、どの場所も離れることもなく、常に自らを張り詰めた環境に縛っておかなければならなくなります。

外も家の中も、現実的には何も存在せず、ただその物質的な環境に基本的な障害はありません。左右されるのは天候や交通、細々として訪れるデッドラインや約束事だけです。なのに私たちは他人の無責任な言動に振り回され、何一つ手に付かず、何一つ生み出し得ません。そこに生き生きとした命の発露など到底、期待できないのです。

願うのは、そして撥ね付けるべきは人間本来の自由や豊かな人間性とは対極にある醜さ・酷さ・汚さ、そして幼さでしょう。当たり前の人生を心ある人たちが何の障害も妨害もなく享受していけるように私たちはこの社会を築いていくことです。それぞれの心の不服従を明示的に表しそういった愚かさ以上の支配に対峙することです。決して認めてはなりません。