ふつうのこと、自然なこと2013年02月09日 11時23分07秒

タイワンリス
しばしば、猫などが道路上に飛び出して、クラクションを鳴らしながら近づく自動車や大声や悲鳴に対し、驚いたような顔つきをしたりして真ん中で「固まってしまう」光景を目にすることがあります。そういった警告や警鐘に即応しないのは極めて自然でふつうの状態である、とはまたよく人口に膾炙した話としても知られています。そう、これは同じく私たちにとっても起こりうることで、どれほど大声であるいは何度も叫んだり呼びかけたりしてもやはり動けなくなる、といった状態を体験するのもよく理解されるところなのです。<p>
『自由とは必然性の洞察である。』とは哲学者、ヘーゲルのことばですが、まさにそのとおりでわたしたちにとって本来、その「自由意志」によって何を必然的な合理的事象とみなすかはその過程を含めた(深い)洞察によって決まることです。その自己決定に至る経路に時間的な長短があるとしたらそれはその過程や環境の自然さに依存する、といえるでしょう。もし恣意的な何かがそこに意図的に入り込むとしたらそれはゆがむどころかそこで何も無くなってしまうという現実を私たちは経験することになります。</p>
生きていくうえで、我々ヒトだけでなく、かの動物たちもまた、その一見したところ行当りばったりの偶然の行動に見えても、そうでない方向に向かうのは必然であり、その自然な意思の発現であった、と後に知ることになります。これは例外なく、いわば、「ふつうの」結果であり、論理的にその時間的な経路における文脈を考えたとき、苦もなくまた無理もなく認識され、その認知過程はそのまま受容されうると私たちは受け止めることになるのです。そこに何ら不自然さはありません。

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