縁結びの神再訪2013年01月13日 18時48分16秒

縁結びの神
明日は降雨との予報のため、午後にこの地方の縁結びの神を奉ってある北の神社にお参りに出かけました。寒くもなく、雲は多めでしたが多くの人たちの中、縁を授けていただくために祈りました。お守りをいただいた巫女さんはきれいでかわいい女性(あたりまえか)でした。また、おみくじ100円は大吉で、願い事はのぞみのまま、人の言葉に迷うな、です。恋愛、この人より他になし――でも相手を求めての参拝。誰でしょうか。縁談、多くて困ることあり 静かに心を定めなさい。嬉しいひとときでした。<p>
午前中はちょっと疲れて、和歌山の貴志川線のたま駅長のごとく眠ってしまいました。いえ、傷ついた心はもう直らないのかもしれません。ずいぶんと長い間そんな時間を過ごしてきたように思います。</p>
科学を「信奉」するわたしが神頼みとは非論理的に映りますが、願いが現実のものとなることこそ心に強く持ち続ける必要があるのです。これは極めて合理的な精神の形成にほかなりません。ですからこそ、時折耳にするかもしれないことばの非合理性には与できない、これはまっとうな精神の持ち主なら当然の心理でしょうし、その意味を誤りなく解する人と縁を結びたいと望むのもまた、至極当然の働きであり、理です。開かれています。

安らぎの池2013年01月20日 19時49分35秒

オナガガモ(左)とヒドリガモ(右)
探鳥会で都会の中にある池・遊水池に出かけました。当初はそれほど期待はしていませんでしたが、来てみて少々驚きました。こんな都会の真ん中に実に多くの種類の水鳥がいたのです。かつて(といってもほんの1年前)湖で多く目にしていた彼らをこの地で見かけようとは思いませんでした。久しぶりで見分けるのに(思い出すのに)時間がかかりましたが、いくつかはよみがえってきました。ただ、もちろん、彼の地の湖ほどには種類も数もなく、それは致し方ないことですが、この場所を考えると驚きです。遊水池(温水池)では餌付けをしていて、魚介類の極端に少ない池で(水はとてもきれい)多くいた理由はわかりました。<p>
今朝は風邪気味で、昨夜に比べれば体温も下がり、大丈夫とおもっていたのですが、峠を越えたあたりから頭が張った状態となってしまいました。ただ、歩いている内に和らぎ、寒さは感じたものの、晴れた日和でまずまずのところでした。そして、これもまた、帰り、峠を再び越えたあたりからまた同じ状態となり、やっと回復したところです。</p>
いつかまた、とは思っても、再訪に至るかは分かりません。もしかするともう訪れることもないかもしれない、そんな気がしました。まあ、この地方に居住していれば機会はあるかもしれません。不思議な感じの水鳥の楽園を見たような気分です。

晴れた縁2013年01月26日 20時39分54秒

伊豆山神社
ひどく気の滅入っていた前日から、晴れた朝に思うところあり、とにかく縁結びの神社として知られる伊豆山神社まで出かけました。迷うことなく着いてはみたものの、下の駐車場は満杯、上の境内とかに向かったはいいものの、曲がり違えて道路脇。まあ、登りはなく、そのままお参りできたのでよし、とします。祈り、お守りで目的成就、帰路に就く前に「子恋の森」ハイキングコースに入りかけたところで、おばあさんに『そっちは行けないよ。イノシシや石だらけで。』と言われ、少し登ってやめました。<p>
なんにしても恋を懸けた道に踏み入れ、縁結びに願いを懸け、明日を望む山の上から明るい海を臨んだこの時間はきっと幸運を約束してくれた、と信じています。</p>
なかなか思う出逢いは巡ってくるのは時間がかかるのでしょう。ただかならず、とやはり信じます。身近な青い鳥は却って遠い存在かもしれません。なんとしても、その時間を縮めなければ生きてはいけませんから。「♪。。。人は皆ひとりでは生きていけないものだから。。。♪」

岩科学校に見る明治2013年01月27日 17時33分08秒

三条実美の書
天候に恵まれたので南から西にまわってきました。海岸線はとても美しく、ここなら国立公園の名に恥じない、と実感できます。冬の風は冷たく、長居はできませんでしたが、南アルプスも見えていて、ある女性の先輩に言われて見に来た甲斐がありました。その最後に、標題の岩科学校を訪れました。1880年以来、133年です。<p>
三条実美の筆になる学校の名はこの地域の明治の人々の熱意と気概を如実に反映していると実感できます。篤志で800円余り(現在では8000万円を超える)、公費を合わせて初期の教育の振興とこどもたちに賭けた人々の思いを強く感じさせます。実科を合わせた教育を行っていたようです。農業を基盤とした内容だったようで、気候を生かした早期の繭の出荷など、漁業より内陸に秘かに賭けた安定を意図したこのあたりの必死の姿を垣間見るようです。</p>
翻って、今はどうでしょうか。どうしても、高等学校まではこの地方での教育を進めないと先にはいけません。当時の近代の気概をそのまま持て、というのは酷ですし、無理もあります。しかし、現在の日本の状況をみるにつけ、このままでは廃れます。教育の支えは何より、誰よりその地域を担う人々です。本当にこどもたちに期するなら、本当の厳しさ、本当の意気をもって社会の新興を図らねばなりません。その覚悟と気概をもういちど、この学校を訪れて見つめ直すことも必要です。