会合に見たもの2012年10月21日 02時05分24秒

そこの一杯
同じ行動をとることに違和感も疑いも持たない、持てない、ましてやその中に完結することに何も感じなくなっているとしたらそこには何も見えては来ません。申し合わせが示し合わせになって、それが他から却ってまさに異形としての形成になっていても全く気づくことがない、それはとても不幸であり、とても悲しむべきであり、とても恐ろしいことであり、とても空しい行為の結果です。

お互いがお互いを認めあい、お互いのなにより一人一人の存在をかけがえのない必然として認知することに至らない社会はそのままその社会を衰退どころか消失させることになります。社会の存立基盤をなくしてしまうからです。静かな、そしてぞっとするような冷たさを凌駕する空恐ろしい切り落としであり、断絶です。そこから何が生まれるのでしょうか。そこで何が育つでしょうか。

その場所に集合する、それでその他はそうしていて、そこには和やかな笑顔や声を知りました。一方でそうではないひとかたまりにはそれはありませんでした。いえ、見えませんでした。見たくもありませんでした。それぞれがその包摂すべきひとりひとりを迎え、あるいは心配し、あるいはただ確かめ合う、その存在こそ始まりです。そういった時間的に移ろう生きた姿を他へ追いやっていたことにそうではないところは全く気にかけてはいませんでした。恣意的であれ、馴化であれ、そんな継続に明日はないでしょう。戻れますか。

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