一度も、何も無い、ということ2011年07月12日 08時15分34秒

ノコギリカミキリ
普通の神経や感覚をお持ちの方々なら、決して口にしないこと、それは、ありもしない、ありもしなかったことを前提にした物の言い様です。ものごとには道理というものがあり、自然の摂理にまさに自然に従って随伴するものの当然の道筋であり、必然的な成り行きであり、それなしではあり得ない、成り立ち得ないことどもをいうのです。でもそれをわきまえない、理解しないやからもまた、現れたりしますし、嘆かわしいことに、そんな非道や人知に劣る者たちに追従したり一緒になって物を言う愚か者もいるのです。

過去現在に至るまで、ただの一度も話すどころか、会うことも、存在自体知らないといった場合をまるでかつてあったかのように言及する、というとても人間の頭では理解し得ない発想をしなさる方もいるのです。開いた口が塞がりません。何一つ、全く為されていないのに言うなど、まさに論外、ましてや、それを「理由」に他者に対して攻撃的になるなど、言語道断でしょう。とにかく、人でなし、とはそういうものかもしれません。そんな世の中は実に住みにくかろう、と『草枕』ではありませんが、おもったりします。

私たちは前向きに歩いて行きます。何かを創る、成す、そのために積極的に働きかけ、成就させることを何より願うのです。震災直後のテレビで盛んに何度も放映されたCM、AC(公共広告機構)の、『その気持ちを形に』です。為して初めて、それは好意として表現され、親切として受容されるのです。ことばではなく、何よりもまず、行動なのです。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「山路を登りながら、こう考えた。」で始まる小説の作者は誰か。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://midori.asablo.jp/blog/2011/07/12/5951491/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。