「みんなの党」と「みんな」2013年08月24日 21時03分12秒

青葉山遠望
みんなの党の柿沢未途衆院議員は渡辺喜美代表から『何も言わずに出て行ってくれ』と言われ、『離党届を書け』といわれたということを述べていました。前者は柿沢氏のTwitterにあります。考え方や方向の違いだとしても、ここで問題なのは、渡辺氏の姿勢や発想でしょう。一緒にやってきた同志に眼前で強要、出て行けとは。わたしは、そのやり方や発言に現在大きな問題となっている、LINE、との共通項を見いだしてしまうのです。

そもそも、「みんな」ということば自体、名付け自体、大きな抵抗を感じさせます。一部で固まって結党しているのに、「みんな」はないし、合わないから『出て行け』ではもはや「みんな」ではあり得ません。排斥や迫害、同調、ちょっとした、まさにほんの少しの違いでそうしているところに日本の社会の最も悪い面を際立たせているわけですから、社会も政治も理解していないと思われるわけです。

「みんな」は一般社会でも、とりわけ子供達の中でも、はみだしたり違ったりすることに対する手枷足枷、衡、となるキーワードです。そして、弱い者いじめや異質な人、同調しない人などに排撃を加える中心的なことばであり概念であり、恐ろしい圧力となって人々を縛り付けているのです。私たちはこれとは正反対のところにあるべきで、自立・独立の姿勢と発想をこそ、追求すべきことなのです。現実に、誰かとその他との対立からその他が「みんな」であろうとするとき、これはもはや「みんな」ではあり得ない、という厳然として、自明の事実からこのことばはそれ自体、否定されることになるのです。おわかりですよね。ですから、この、「みんな」ということばやその意味するところや実体がこの世界からなくなることを私たちは強く求めなければなりません。誰もが、かけがえのない一人の人間として何よりも尊重され、その尊厳や権利を対等に持つ社会をすべての人が手を携えてつくっていかなければなりません。