日本人の敵2011年08月28日 17時39分56秒

アブラゼミの羽化
日本社会にとって今なお不可欠で必要とされ続けているのは何か、とほんの少し考えればすぐに私たちは大切なことをあげることができるのです。それらのいくつかは、たとえば、
  • 言論の自由・表現の自由・思想信条の自由、そして良心の自由
  • 私的生活の自由(つまり他者による侵害を受けない)
  • 他者、特に弱い人や絶対少数の人を虐げない
  • 道理と礼節を弁え他者を思いやる
  • 暴力やとりわけ集団による抑圧を行わない(もちろん弱い人に)
  • 人間としての尊厳を失わせない
  • そのほか、たくさん。
しかし、それとは裏腹に、自己中心的で自分本位の思考・発想やあり得ない欲望によってそういった基本的なことがらを現実には否定して憚らない人間として認めたくない者たちもいるのが現状です。

もしこれが行政や権力あるいは力や権限をもった人たちが行ったらこれは大変な人権蹂躙です。そして、その例はいくつも残念ながら見いだすことができるのです。わかりやすい例として、町の中に設置されている拡声器を通じて昼前(11:30)に人のいやがるある特定の歌手の歌を(メロディだけ)流すのです。人により好き嫌いどころか、苦痛や吐き気さえ催すそんな曲を有無を言わせず一方的に押しつけるなど、言語道断ですが、それを何のことわりもなく平然と強行する、というのがあります。役場や関係者の感覚や人権意識が疑われます。

日本人として、在るべき姿や態度を失いかけていると言われていますが、本来歴史的にかつ社会的にそれを醸成し育成しそして維持し続けてきた私たちの社会がどうも、グリコ森永事件やその少し以前からゆがみ、壊れてきているように思われます。社会を構成するのはひとりひとりの個人であり、その名誉と自由と尊厳こそ社会の存立の基盤のひとつだからです。