見えない恐怖 ― 2007年02月25日 21時11分08秒
どこかで何かが行われている、それがもし、誰かに向けた作為としたら、それは実際空恐ろしいものです。もし、それが変わらない心を守っていたとしたら、それは何より心強いでしょう。でも恐怖はそれが見えないところにあります。
知りたいこと、知り得ないこと、それは知ろうとする行為が恐怖によって阻害されていることにあります。その代償として、傷ついたり、取り返しのつかない致命的な結果になるとしたらなお、それを死して知ることを望むのをためらうのは決して臆病ではありません。
失うことが必然なら、守ることも不可避です。求めるのが当然なら、与えないのは不当です。その媒介が恐怖なら、媒体を選択すべきでしょう。
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