信頼と自由2010年01月16日 06時00分00秒

基本的な権利として、まさに、日本国憲法においても述べられているように、自由は永年の人類の命がけの成果であり、それをないがしろにすることは私たち自身に対する暴挙であり、その存在への極めて危険な、許されざる行為です。もちろん、自由と身勝手やわがまま、自分本位の思考言動、利己主義とは全く異なります。いうまでもないことですが、近年、目立ってそれをはき違えてきている輩が増えているように思われます。

私たちは自由に信頼を置きます。そしてその信頼は実際に何がなされるのか、為されたのか、に依拠します。何が提示され、どのような道筋や道程が明示されたのかによって、卑近なことばでいえば、信じるかどうか、を決めることになります。でもそれはそれぞれ、人の自由な意思に基づきます。たとえどんな甘言や誘惑や幻想を抱かせたとしても、それに対する信頼はそれぞれの自由な思考により決定されるのです。

空疎なことば、天の声などには信頼は置けません。そこには自己中心的な発想や脅迫と恫喝でしかない強圧的な抑圧しか見いだせないからです。それは自由とは正反対の隷属に過ぎません。そこには本来の人間としての自由も、ましてや信頼もあり得ません。人は、隷属しないからこそ、人間となるのです(シモーヌ・ヴェイユ)。信頼はたゆまぬその信頼獲得への、つまり、自由獲得への必死の行為から生まれる成果なのです。暴力や非道はこれに対する人道に反する犯罪なのです。

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